アンジェリカの微笑み



映画が始まってまず、文章が出て音楽が流れるその感じに、無声映画みたいだとわくわくしていたら、そんな思いはすぐぶち切られ、水面越しの夜景にショパンノクターンがかぶる「だけ」のオープニングクレジットが延々と続く、そのリズムに痺れる。オリヴェイラの映画を見ているとそういうことがままある。


冒頭の一幕、雨の降りそぼつ路上で起こることを、テラスに傘を差したまま見届ける女。次の一幕に起こることは、雨粒の当たる窓ガラスに手と顔を付けて外を見る女が見届けている。イザク(リカルド・トレパ)をお屋敷に入れないメイドは自分の方はうちから出ないのかと思いきや、傘を持って駆けてくる。こうした女達の配置がいい。


(以下「ネタばれ」です)


ラストシーンには胸を打たれた。「生と死の境界」を描くことにより、「当人」にとってはそんなものは無いと言っていたから。振り返ると、「古いものの方がいい」と鋤をふるう農夫達をせっせとカメラに収めていたイザクが、後日には耕運機の跡を夢中になって撮っていたのは、古いものと新しいものとの間に「境界」があるなんて変じゃないか、あるいは、まだ見ぬ(見たことのなかった)ものも楽しいじゃないかと言っているようにも思われる。


いわゆる「超自然」的なお話なのに、こんなにも作り込まれた映像なのに、全てが「自然」に見えるのも、「境界」が無いからなのだ。スクリーンの中なのに、目をこらせばもっと何かが見えるような気がする。それにしても、始め透けていた葉っぱが、陽が翳って違うふうに見えるというだけの映像の面白さよ。