楽隊のうさぎ



原作である同名小説は未読。「授業が終わったらすぐ家に帰りたい」と考えていた中学一年生の克久が、うさぎに誘われ吹奏楽部へ。舞台は浜松、キャストは現地のオーディションで選ばれた子ども達、撮影は実際に楽器の練習をしながら行われたんだそう。


全てが何とも言えず素晴らしく、感極まって涙があふれてしまった。軽トラの後ろに乗り込んだ中学生達が小さくなってゆく、それを見ているこの時が、ずっと続けばいいのにと思った。訳の分からないことを言うようだけど、私の場合、夢にいまだに昔の友達が出てくる際、当時のままの姿でも「大人」になった姿でもない、その人間のイデアみたいなものとして現れる。この映画の演奏会のシーンでふと、彼らのそれを見ている気がした。年齢も何も関係ない、私も全然「仲間」だって。


オープニングは真新しい制服のシャツのボタンをはめる克久の姿。何の音ってわけじゃないけと音がリアル。母親の歌声が、自分が画面の中に入って聞いているように響く。彼より更にぶかぶかの制服を着た友人に「ずれてんだよ」と言われる一幕の後、静寂と共にタイトル。
考えたらこの映画は、「ずれ」なくなった彼が、「ずれ」てしまった友を救おう、救えたらいいなというところで終わるのだった。ラストカットの彼の顔がとても美しく、作中の何かに似ていると思ったら、それは、序盤でパーカッションの先輩が顧問の勉ちゃん(宮崎将)のところへやってきて克久のことを口にする、あの時の顔だった。おせっかいなまばたき。


私も小・中学生の頃に計6年間、吹奏楽部に所属していたので、そういう点でも楽しかったけど、振り返ってみると、それゆえの面白さを映画自体の面白さが凌駕しているのか、案外とそれ絡みの感想が出てこない。いや、自分にとっては「当たり前」のことが「自然」に描かれてたから、目立たないのかな。顧問に曲を書いてもらえるのは羨ましかった、まさに「アテガキ」だもの。演奏会のシーンで、指揮台の勉ちゃんの顔が克久の目線で映るからあっと思っていたら、彼のティンパニから始まる。互いにどんな気持ちだろうと想像した。
克久が入部して間もなく、先輩が彼の同級生に「あなたは経験あるんだよね、教えてあげて」と任せる様子には、そういや私は楽器の演奏、どうやって身につけたんだろう?と思い返した。もう忘れてしまった。作中の「練習」場面では、彼らの力は、内に持っていたものの目覚めにも見えるし、外からの、すなわち「仲間」から受け継がれるものでもある。


見ながら、学校の「入れ物」性、すなわちたまたまその年齢になった子ども達がやってきて、育って、順に去ってゆく、先生だってずっとは居ない、だからこそ学校って面白く美しいんだってことを、こんなに実感した映画は初めてかも、なんて思った。部活の場にこそ特にそのことが現れるからというのもあるし、映像の中の、モノとしての「学校」のあり方がそう感じさせる。
ところがそのことを楽しんでいると、最後に、その「入れ物」性と闘わなければならない子もいるってことが提示される。見透かされてるようでショックを受けた。それでも場面が換わると、作中初めて、軽々と駆けてゆく主人公。最後の表情、言葉。素敵な幕切れ。


全編に渡って、うるさくなるぎりぎりのレベルでドキュメンタリーや演劇の味わいも楽しめる。私が「演劇」ぽさを感じて好きなのは、サッカー部の揉め事の際、「吹奏楽部は散れ!」と言われるも突っ立ったままの部員達の直立のパワーと、次の場面で一転、練習中の音楽室に部長が入ってきて楽譜を配ると言うと皆が走り寄ってきて、手にしたと思うとまた戻ってゆく、ダンスのような躍動感。
肝心の?「うさぎ」については、私には正直「邪魔ではない」程度にしか受け取れなかったんだけども、それもまた、この映画の味わいかな。ただそこに居るという感じ。