シュガーマン 奇跡に愛された男



街中をクレジットがするすると移動していく、3D映像のような、妙なオープニング。原題を知らなかったので、「Searching for Sugar Man」の文字に少々驚いた。「シュガーマン」は始めから登場するものと思っていたから。


しばらく訳が分からなかった。「シュガーマン」こと歌手ロドリゲスのファンである語り手や「関係者」がカメラに向かって話す様子はこなれており、フェイクのようで、まるで書割の、しかも入口のない建物の周りをぐるぐる回っているかのような、掴みどころの無い、奇妙な感じに捉われた。
しかし窓辺にロドリゲスの陰が映った瞬間から、全てが変わる。あの場面は素晴らしい。続きが観たくてしょうがなくなると同時に、以前に戻って「確認」したくなる。だってほんとのことなんだよって。


ドキュメンタリー映画を観る時の私の楽しみ「答え合わせ」が、本作では特殊な位置にある、というか、「答え合わせ」そのものの映画だと言える。あのような歌を歌っていたのは、どのような人間なのか?
後半は「ロドリゲスとはどんな人間か」を語るのに費やされていると言ってもいい。それは本人より先に登場する長女の言葉に始まる。三人の娘達は皆違ったいい顔をしている。子どもの頃は父に連れられて、美術展で一日過ごしたものだ。南アに招かれてのコンサートの際に泊まったホテルで父は、ベッドメイクの必要が無いようソファで寝ていた。等々。
本人が出てくると、更に全てが「そぐう」。窓辺でのインタビューで「水の入ったコップでも持とうか?」と手にして飲む姿、のどの鳴る音、その服装。


何より心に残るのは、ロドリゲスが「歩く」姿。冒頭はアニメで、「姿」を現してからは実写で何度か映し出される。雪の中、足を取られながら、取られまいと踏ん張りながら、しかしマイペースで歩く姿に、これは「どういう場面」なんだろう?と思っていると、彼が辿り着くのは現在の住まい。娘は父について「いつも生活のために働いてるわ」と言う。すなわち彼が家を出て戻ってくるというのは、その「生活」、ひいては人生そのものであることが分かる。
コンサートを挟んだ終盤に再び挿入される、彼の「歩く」姿には、仕事仲間いわく「彼はいつもスーツを着て出勤するんだ」って、こういうスーツだったのか、と思う。


観ながら、映画における音楽って何だろうなどと考えていた。音楽を扱ったドキュメンタリーにおいては、流れる音楽は「紹介」にとどまってしまうこともある。前半では、私にとって彼の歌もそうだった。しかし本人が登場してからは全く変わる。それって「純粋な」音楽の力じゃないんじゃない?と思うも、
コンサートの一曲目「I wonder」の映像とナレーションの組み合わせがいい(誰が撮ったものなのか?「誰も信じないから」と娘が撮影してたもの?)ベースのリフが止んで彼が登場して10分、拍手が鳴り止まなかったと。彼は「落ち着いていた」と。そう、本作で一番感動したのは、この時の彼の「自然」な感じ。そこに居るのが当たり前のような、いつも歩いている道の途中のような。



「彼の娘はコンサートの時に知り合ったボディガードと結婚し子どもを産んだ、
 おれはレコード屋の店長になった、
 皆が変わった、彼だけが変わらなかった」