ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの


公開初日、新宿ピカデリーにて観賞。面白かった。
「給料で買えて、アパートに置ける」範囲内で現代アートを集めてきたNYの夫婦、ハーブとドロシーを追った「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」(2010・感想)の続編。


オープニングは美術館に飾られたハーブとドロシーの写真を前にした子ども達。引率の教員が「気付いたことを言ってみて」(作中、子どもの相手をする大人は皆こう言うのが可笑しい、とはいえ私だってそうするだろう)。そして本作の原題「50×50」が口に出される。二人は当初コレクションをナショナル・ギャラリーに寄贈することにしたが、あまりに量が膨大なため、全米50州の美術館に50点ずつ贈るというプロジェクトが考案されたのだった。


コレクションの寄贈についてドロシーは「子どもを大学にやるような気持ち」と言っていたけれど、今回描かれるのはその「子ら」の活躍と、それを見守る二人の姿。まさに「二人」を追うドキュメンタリーだった前作に比べ視点が広がり、私のような一般人が「アート」に触れるまでに関わる、様々な立場の人の話が聞ける。館長や学芸員、ガイドには連邦捜査官から第二の人生を踏み出した人もいれば、ハワイの衣装に身を包んだ夫婦もいる。
まずはアメリカの様々な土地の美術館が見られるのが面白い。二人のコレクションは「(「最近はサイズの大きなアートが流行りだが」)小さい」ことと「現代アートである」ことが特徴。土地によっては「現代アート」を扱うのが初めてという美術館もあり、寄贈は即「変革」に繋がる。展示も事情や工夫により様々な形となる。アーティスト本人が参加して展示方法を決める場面なども面白い。ちなみにこの場面の一つでは、アートとは見る人の体によって変わるものだなと思った。考えたらそりゃそうだ。


二人が映っている時間は前作より少ないけど、的確な場面ばかり。足腰が弱り「年とともに喋らなくなった」ハーブと、ピンクや赤を取り入れた明るい服装で彼の車椅子を押すドロシー。外では食が進まず口数も少ないハーブが、車内でパンを齧っていたり家で猫を撫でていたりする画は楽しい。所々で聞ける、ドロシーのアートに関する意見はやはり面白い。前作で「PCの前に座っているのは嫌、とにかく外に出掛けたい」と言っていた彼女が、「今は昔を懐かしむ時間」と、PCでメールやプロジェクトのサイトをチェックしている。作品の写真をアップしていない美術館にメールを送らなくちゃ…「今すぐにはしないけど、そのうちね」。彼女の横顔や笑顔には、この世の素晴らしさが全て詰まっている。
ハーブが突如別人のような雄弁さを見せるのが、ニュージャージー州の美術館での「アートのある暮らし」の展示方法について。見事な指示の後、「どうだいドロシー?」と付け加えるのがいい。「(展示は)あなたの専門でしょ」「bullshit!(馬鹿言うなよ)」。


二人が「身内のように」付き合ってきたアーティスト達も登場する。中には「コレクションは一箇所に在るべき、情熱が根底にあれば倉庫で日の目を見なくてもいい」と考える者もおり、一時疎遠になっていたらしい。しかしイベントで再会し意見を言い合い、旧交を温めあう。映画の「ほぼラスト」は彼とドロシーが抱き合う場面だ。
そして「ラスト」は、ハーブを亡くして4週間のドロシー(って、予告編からも分かるから書いてもいいよね)。「コレクションは共同作業だから、彼に敬意を表してもうやめる」「(コレクションや服などの片付けについて)ゆっくり、ゆっくりやるわ」。何十年ぶりかに現れた「白い壁」に一枚だけのとある絵を残し、テレビを見る背中。その後のエンディングの彼女の姿に、人生には色々なステージがあるんだと思う。


エンドクレジットの協賛企業に両口屋是清や桂新堂など名古屋の会社の名前があったのが、出身者として嬉しかった。何か縁があるんだろうか?