マーサ、あるいはマーシー・メイ



若い女性(エリザベス・オルセン)がカルト教団の共同生活から逃走し姉に「保護」されるものの、「普通」には戻れない、という話。
面白かったけど、ぐっとはこなかった。私には映画としてキレイすぎるっていうか。その内容や語り口に、悪い意味じゃなく、70年代にこういう映画があったんじゃないかなと思わせられた。


「今」の彼女は「狼少女」のように見える。姉いわく「ひどい」服、濡れたまま拭こうともしない体、丸まった寝姿。「過去」の彼女の暮らしを参照すると、起きぬけの「共有」の服への着替えや、「儀式」の際の後背位などは、やはりどことなく動物めいて見える。動物めいているのに死んでるようにも感じられるのは不思議、いや不思議じゃないか。
映画は、水辺に座る、水に飛び込む、などの「動作」を起点に、「今」と「過去」(あるいは「妄想」)を繋げていく。そうした「想起」の仕方も(それが彼女の「回想」じゃないとしても)動物っぽい。後半、そうしたジャンプがあまり起こらなくなってきたなと思っていたら、最後にどかんとでかいのがきて、恐ろしくなる。


いつものように盗みに入った家にて、気付いた住人が明かりを点ける。「普通」の男である住人の彼と、「(マインドコントロールをしようという点で)普通じゃない」男であるリーダーの顔が、電灯の下に赤裸々に照らし出される。それを戸口の向こう、皆の一番後ろで口を押さえて見ている彼女。この場面がとても印象的だった。



「ごめんなさい」
「謝らなくてもいい、分かってほしいの」
「分かったわ」
「そう、じゃあなぜ他人の寝室に入っちゃいけないの?」
「他人の寝室に入ることは非常識なことだから」


主人公と姉の、何気ないこのやりとりに少し恐ろしくなった。こんなふうに、今度は「こちら」の常識を植えつけてしまっていいものだろうか?結局のところ、「狼少女」が「あちら」にも「こちら」にも馴染めず「断絶」の中に在る、という話のように感じられた。