ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ




「ファッションそのものは退屈だ、何もない
 だが彼女によって、ロマンチックなものになる」


雑誌を模したオープニング・クレジットの最後に、ダイアナの「movie going!」。これに限らず、よくもまあ、と思っちゃうような「素材」がうまく使われている。ダイアナが自伝の執筆を依頼した作家によるインタビューを軸に、彼女が出演した番組の映像、写真、「ハーパース・バザー」「ヴォーグ」の誌面、何本かの映画…眺めてるだけで楽しい。加えて全編に流れる、ダイアナのしゃがれた、強い声が気持ちいい。
他の人からすると「なぜ?」というようなモデルの魅力を見抜いて起用した、ということが散々語られるので、元モデルの証言映像の際には、ダイアナが見出した人は今どうなってるのか?と興味が湧くわけだけど、皆、それなりにかっこよく見える。ファッション関係の映画においてこそ、いわゆる「美人」の枠におさまらない女性たちがたくさん出てくる、というのは面白いことだ。


私にとって、ドキュメンタリーを観る楽しみの一つに「始めの方に出てきたことが後で補強される」ってのがある。例えば本作はダイアナの「ファッションを少し齧るのは中途半端なダイエットみたいなもの、それならアイスケーキをたくさん食べてぶくぶく太ったほうがいいわ」というセリフに始まる。すると中盤、息子達が母親について「成績はトップかビリ、それ以外はダメと言われた、子どもには酷だよね」と語るので、ああ、本当にそういう人なんだなと思う。また「お金が第一よ、そうじゃないなんて人は信じられない」なんてセリフがあるから、後半ヴォーグ誌への移籍について「だって(ハーパース・バザー誌で)26年働いてやっとちょっぴり昇進したきりなんだから」と言うのを聞くと、そりゃそうかと思う。
ヴォーグ時代の日本ロケの際、(かなり背の高い)モデルよりも「背の高い」男性を探すよう指示したことについて、なぜ?と思ったけど、誌面を見ると確かにかっこいい。このことは、終盤夫について「結婚40年経った今でもはにかむ気持ちがある、女は男に対してはにかむものよ」という言葉に繋がっているように感じられた。


ダイアナは死ぬまで「動き」に魅了されていた。いわく「リズムが必要よ、人間は肉体的な生物なんだから」。冒頭に引用されているインタビューで「出走直前の競走馬には『何か』がある」と答えているのを始め、子どもの頃から好きだったバレエ、ジョセフィン・ベイカー、そしてサーフィン(に思いを馳せること)。
ヴォーグ時代の彼女の仕事用のメモについて、当時の部下が(「ブロガーの走り」という指摘も面白いけど)「次々と違う波に乗っていくの、サーフィンみたいなものね」と言えば、終盤にダイアナいわく「羨ましいのは唯一、サーファーだけ」。これも先に書いた通り、こんな言葉、よく見つけてきたものだと思う。


面白いのは、最後の最後に、ダイアナが大切にしていた「ヴィジョン」とは何だったかを周囲の人々が定義すると、それまでダイアナ本人の口から語られたこと…ひいては彼女に対する印象が変わって感じられる、という作りになっていること。この点において、私の中で、本作はイーストウッドの「J・エドガー」と対になった。
20世紀とほぼ同時に誕生し、子ども時代に「ベルエポックの終わり」を目にし、60年代にロンドンに出て…なんて(こういう職業の者として)「場」の幸運に恵まれてるんだろう、と思ってたのが、それだけじゃない、彼女がいかに自分の意思で自分を創ってきたかが分かる。


次から次へと出てくる有名人の映像の中でも、昨年「ウォリスとエドワード」を観たばかりということもあり、ウォリス・シンプソンの姿が嬉しかった。「王冠を賭けた恋を、私たちのお店が演出してたのよ」。
メトロポリタン美術館での衣装展について、当時の同僚の「通風孔から香りを流したり…」という証言には、ヴォーグ時代に(あの、じゃないけど)「ディヴァイン」という言葉が出てきたこともあって、匂い付き映画(体験したことないけど)みたいなもんだなと思う(笑)実際どんな分野でも、やってみる!という人はいるものだ。