田中さんはラジオ体操をしない



オープニングはマンション前の通路で木刀の素振りをする田中さんの姿。日本語の「ロックミュージック」(この曲については後で分かる)が流れ、続いて少々安っぽい「オリエンタル」な音楽をバックに電車の車窓風景、ナレーションが始まる。
なぜか分からないけど、電車の中、あるいは走る電車を捉えた映像が多い。ラストシーンも電車の窓から外を眺めている。「京王線に乗って会いに来てください、コーヒーを飲みながら話をしましょう」という田中さんの最後の言葉がよかった。


田中さんは、勤めていた沖電気工業において大量解雇された元従業員を支援していたが、会社側に活動を抑止される。次いで導入された始業前のラジオ体操には、一人最後まで参加せず。やがて社内での「差別」が始まり、遠隔地への移動命令が下る。それを拒否し、81年に解雇された。以来現在まで一日も休まず、会社の門前でギターを抱えて歌っている。
本作を撮った映画監督のマリーと夫のマークは、インターネットで田中さんを知りオーストラリアからやってきたそう。マークが言葉を教えられて「活動」に参加したり「日本文化」に触れたりする場面が、ちょっとした味付けになっている。


映画は労働問題を掘り下げるわけではなく、ただただ田中さんを追い続ける。彼にはある種の、パフォーマーとしての才能がある。日本語・英語問わず話がうまく(家族や支援者の話しぶりと比べると歴然としている)、頑固ながら「ユーモア」がある。実際場内では、同年代と思しきおじさんの笑い声が何度もあがっていた。彼の母親は「頑固なところが短所だけど、長所でもある、それを伸ばしてきたのね」と言っていたけど、本人いわく「誰にもできること」を続けるうちに培われたものなんだろうか。
支援者に元、あるいは現役の教員が多いので予想していたら、やはり君が代問題も出てきた。これについては、不起立行動を続ける女性の「考えもせずに従うことを強制するのは、教育ではない」という言葉につきる(ただし「公務員」としての問題があるけど)。映画はこのあたりにも踏み込むことはせず、活動を追い、意見を聞くのみにとどめている。これは正しいやり方に思われる。


田中さんの妻は沖電気工業を退職し、保母として家計を支えている。「やめればいいのに」と苦笑しながらも「彼が自由に時間を使えるようになり、子育てにはいい面もあった」と言う。よその関係は当人でなきゃ分からないけど、私の目にはいい家庭に思われた。というより、パートナーのどちらかが何らかの「活動」をしていても、きちんと「生活」できる社会であってほしいと思う。
田中さんが「しきたりに疑問を感じて」破門になった茶道を、奥さんがワンピースに白靴下姿でやってみせたり、「馬鹿げてる」と言う「ケーキカット」を家族皆でしたりする場面が楽しい。


カメラを見つけておざなりに注意する会社の守衛や、株主総会から追い出されビルに再突入しようとする田中さんを苦笑いで阻止する社員の姿に、もし自分がその立場だったらどうするだろう?と思った。まあ私は働くことが嫌いなので、問題が違ってくるけど(笑)
ラジオ体操の音楽を使用する時に「振興目的で使います」という署名が必要とは知らなかった。だから作中、田中さんが体操をしてみせる場面は無音だ。