キャタピラー



太平洋戦争末期、四肢を失い帰還した夫(大西信満)とその妻(寺島しのぶ)の姿を描く。
反戦映画」だけど、描かれるのは「夫という生き物」との新しい生活、新しい関係。社会が個人に影響を与えるのは当たり前か。夫婦の物語の合間に、若松孝二監督のストレートなメッセージが幾度も挟み込まれる。上映時間が短く、シンプルで良かった。


(「ネタバレ」ってもんじゃないけど、観る予定なら読まないほうがいいかも)


冒頭、四肢のない夫の姿に、悲鳴を上げて田んぼに逃げ込む妻とそれを追った弟が、家に戻る前に泥まみれの服を洗う場面がいい。
ぎこちないやりとりの後に親族が去り、妻と夫、二人だけの部屋。張り詰めた空気が流れるが、夫のおしっこしたいという訴えに妻は走って尿瓶を取りに行き、事を済ませる。本人も妻も、なんとなくほっとした感じになる。
妻はその後「食べて、寝て」「食べて、寝て」と繰り返し口にするけど、作中描写される「営み」はおそらくセックスが一番多い。帰宅後初めてのセックスの後、妻が尻丸出しのまま「新聞の切り抜きと勲章」の所にぶらっと歩いてゆき、「軍神さまねえ…」とつぶやくシーンがいい。ああいう感じってよく分かる。寺島しのぶは作中何度も尻を見せるけど、この尻には意味があるように思う。この場面に限らず、彼女の表情や演技は分かりやすく、時折コミカルにさえ感じられた。


出征前に「毎日」妻に暴力を振るっておきながら、戦地での蛮行が何度もフラッシュバックするというのが私にはぴんとこなかったけど、彼にとって前者は「日常」であり後者はそうじゃない、ということなんだろう。
…とツイートしたら「戦地での蛮行で逃げ遅れ、あのカラダになったからです。行為に及ぶたびに蛮行を思い出し、怯えるのでしょう(略)」と返信をいただいた。確かにそうかもしれない。私は観方が甘くて、あの時に四肢を失ったという確信が持てなかった。ただ、フラッシュバックの映像において、暴行を働いた相手の顔や体が強調されるので、四肢を失ったことよりも自身の「罪」に重きが置かれているように感じた。


出征前の関係なら(私からすると)最悪の夫だけど、今や相手は「新しい生き物」、布団や籠に入ったきりだ。二人のパワーバランスの揺れが面白い。「ごほうびがほしいんですか?」はやがて「ごほうびをあげましょうね」。夫の勲章を自分で身に着け、涼しい顔で「妻の務めですから」。誰にも後ろ指指されない「決まり文句」を言ってのける快感ってあるだろう。


幾度もセックスが繰り返されるが、互いに性欲を抱き合って…という感じの行為はない(あるのかもしれないけど、そう見えない)。やりたい者とやらせる者とがいるだけだ。
自分だったらと考えると、毎日「世話」してる相手、暴力振るわれたことのある相手(振るわれたことないから想像もできないけど)となんて、やりたくない(ほとんど「挿れる」だけだし)。しかし相手が決して逆らえない、全て自分次第となれば、どれどれやってやるか〜と性欲が湧いてくる、そういう可能性って、ないとはいえない。セックスって、支配と被支配の関係において成立しやすい、そうでなくても、最中にそういう擬似的関係ができやすい、ということを思った。