レスラー


80年代に一世風靡したプロレスラーのランディ(ミッキー・ローク)は、今ではトレーラーハウスを寝床に、スーパーマーケットのアルバイトで得た金を薬に変え、週末のインディーズショーに出演する日々。しかし心臓発作を起こして倒れてしまい、リングに立てば命の保証はないと宣告される。


冒頭から胸がぐっとしめつけられるようで、中盤、ランディがキャシディ(マリサ・トメイ)に「息子にあげてくれ」と、冒頭に目を引いたあるものをプレゼントする場面で、涙がこぼれてしまった。
だって、あれを喜ぶと思う無邪気さ(実際喜ばれるんだけど)、また彼にとっては大切なものであり、他にあげられるものもないのだ。泣けてしまう。



映画の前半は、とあるプロレスラーの日常を追うドキュメンタリーといったかんじで進む。彼等の本当の生活がどうだか分からないけど、まずは知らない世界を覗き見できて楽しい。
「床屋」や日焼けサロンに通って自分なりのレスラー仕様の身体を保ち、ホームセンターで仲間と用具を物色。そして当日、めいめいが段取りを付け、細工を施し、試合が始まる。コメディとして撮ってるわけじゃないのに笑えてしまう。プロレスラーってそういうものなんだろうか?


(試合シーンはどれも真実味たっぷりなので、そういうの(ホチキスを打ち込まれたり)が苦手な人は注意が必要かも…同居人は始終私にしがみついてたし、隣の女性もうつむきっぱなしだった)


こんなふうに淡々と進んでいったらそれはそれで面白いなあ、と思っていたら、馴染みのストリッパーのキャシディや、離れて暮らす娘のステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)が登場し、人間関係が進展する。でもそれは、あくまでもこの映画の「背景」。これは彼の物語、いいとか悪いとかでない、ああいう人間の物語だ。
当たり前ながら、ある面で素晴らしい人間が、ある人にとっていい親、いい恋人、いいパートナーであるとは限らないし、愛と呼べるものが存在しても、一緒にいることが必ずしもベストではない。めいめいが自分の選択をする結末には、とても感動した。


これはランディの物語だから、キャシディについてはほとんど描かれない。でもつい想像してしまう、毎晩あんなふうに男を誘い続けなきゃならないなんて、めんどくさくて頭が痛くなる。
映画自体じゃなく、宣伝文句の問題だけど、彼女の仕事について「ランディ同様に身体を張っている」ですまされていると、そんな簡単に説明できるものなのか?(というか、対比する必要があるのか?)と思う。「キャシディの」仕事への意識やその消費のされ方は、ランディのそれとは全然違う。問題を広げて言えば、年をとったストリッパーというテーマでこういう映画は作れないし、「女のロマン」という冗談は通じない。映画はあくまでもランディ視点で進み、そのへんはさらっと流されてるので良かった。


面白いなと思ったのは、冒頭に流れる、全盛期のランディを紹介するセリフに「真のアメリカ人…」という言葉が使われていたこと。最後の試合でも、ファンは彼を「USA!USA!」と応援する(対戦相手は「中東の怪人」)。日本なら、「真の日本人」だからといって人気が出るとは思えないから、アメリカってそういう国なんだなあと思った。


一人の人間の時間は限られており、老いは誰にも押し寄せてくる。
同居人は観終わっての感想を「感動して、じゃあ明日からがんばって創作活動するかっていうと、できないんだよなあ、それが哀しい」と言っていた。