映画は映画だ


シネマスクエアとうきゅうにて観賞。東京ではここ一館の上映だけど、週明けの夜は2、30人程度の入り。レディスデーだともっと混むかな?
帰りのエレベータで、韓国好きなおばさま(流暢な日本語だけど、韓国語のロゴが入ったジャンパー?を着ていた)とその中学生くらいの息子と一緒になった。「面白かったねえ」「オレは楽しくなかった」「あんた面白そうにしてたじゃん、将来映画監督になりたいんでしょ、頑張らなきゃ」「違うって!」楽しかったので思わず振り返ってしまったら、男の子に「すいません、うるさくて…」と言われた。
劇場を出たら、2時間前に「まだなの!」と携帯で喋ってた、歌舞伎町で言うと「ひげガール」的な人が、ドレス一枚でまだ人待ちしていた。



キュートで楽しい映画。韓国映画には疎いので、チャン・フン監督始め出演者も誰も知らない(原案はキム・ギドク)。劇場で見た予告編に惹かれて観に行った。
韓国の「主役型」の俳優さんは、恵まれた身体を更に鍛えて美しく(二の腕や胸が素晴らしい)、動きもきれいだなあと感心した。


アクション映画で人気を博す俳優のスタ(カン・ジファン)と、かつて役者を目指していたヤクザのガンペ(ソ・ジソブ)。激しやすい性格のため相手役を見つけられないスタは、たまたま知り合ったガンペに共演を依頼する。


冒頭、町中のファミリー向け風の映画館から出てきたガンペは、すぐさまタクシーに乗り込み、手下が待つ車へ向かう。私なら映画の後は、誰かと一緒でも一人でも、歩いたりお茶したりして余韻を味わいたいけど、多忙な人は大変だ。
後日、人気俳優のスタが同じ店にいると知った彼は個室を訪ねる。「ヤクザ『なのに』映画好き」という要素をコメディ調に扱う映画は幾つかあるけど(「ゲット・ショーティ」など)、この映画ではその部分の描写はあっさりしたもの。だから余計、手下に「映画を撮ろう」と命じて遊ぶシーンが可愛らしく映る。
サインをもらっておきながら「演技とは、苦労してないヤツが真似をすることだ」と言い放つガンペ。観客である私からすると「それを言っちゃあおしまい」に過ぎない言葉だけど、自分の演技のリアリティに疑問を抱いていたスタは、彼のことが忘れられなくなる。


スタが求める「演技のリアリティ」とは、主にアクションの真実味のことだ。「本気で喧嘩すること」という条件をスタに飲ませたガンペは、ヒロインに本気のように襲いかかり(といっても自分の衣服は着けてたから、何をしてたのかよく分からない…)撮影を中断させてしまう。「本気の殴り合い」と「本気のレイプ」はどう違うんだろう(もちろんこの場合、相手の了承を得ていないという問題があるけど、得たらレイプにならない)。「本気の殴り合い」は他のジャンルの映画なら、何に相当するんだろう。結局のところ、演技というのはどこか滑稽で、また当事者の心身を削るものだと思った。
幾度かのアクションシーン(アクション「撮影」シーン)の最中、なぜか先月観た「その男ヴァン・ダム」の冒頭の長回しシーン(これもまた「撮影」シーンだ)を思い出した。あれは見るからに「見世物」で、楽しかった。


ストーリーは、映画の撮影と、二人の身辺に起こる事件とが同時進行で進む。映画を通じての関わり合いが、彼等の私生活における言動に影響を及ぼす。そのことが必ずしも、彼等の「元の世界」的には、良い結果をもたらさないのが面白い。


ソ・ジソブ演じるヤクザは、寡黙ながら手下からの信頼は篤い。地味な一人暮らしの描写と、ベッドでマグロっぽいところが、いかにもというかんじでぐっとくる(ヤクザらしい人とそういう仲になったことが何度かあるけど、いずれもああいうふうに、のんびりした感じだった)。
カン・ジファン演じる俳優は、チョコレートやクラッカーなど何かを口にしている所が多く、実際の彼も同じようなんじゃないかと想像してしまった。また彼が恋人をカフェに呼び出すシーンは、「自分が変われば、世界の自分への接し方も変わる」というよい見本で、心動かされる。
ヒロイン役の女優さんは、格好がちょっと80年代ぽくて可愛い。とくに登場時のワンピースが好き。ある場面で、私が中高生の頃(90年前後)「フィッシュボーン」と呼んでた髪型をしてたのは懐かしかった。
作中の映画監督(江川達也マイケル・ムーア似)は、始めこそおどおどしているものの、結構身軽な動作で演技にケチを付けたり、作品のためならヤクザにくってかかったりと、憎めないキャラクター。


行く先々でチャミスルとそのグラスが出てきたのも楽しかった。うちも近所の酒屋で買いだめして、行き付けの韓国料理屋のママに分けてもらったグラスで飲んでるから。