12人の怒れる男


十二人の怒れる男」('57)をロシアのニキータ・ミハルコフがリメイク。
シャンテシネにて映画の日に観賞、おじさんばかりで満員でした。



「汽車が行っちまった、こうなりゃ考えを変えるぞ」



現代・ロシアにて。チェチェン人の青年が義父の殺害容疑で最高刑を求刑されていた。12人の陪審員は、改装中の部屋代わりの学校体育館に閉じこめられ評決を取ることとなる。


全員一致で「有罪」となりそうな雰囲気の中、一人の男が「無罪」に投票する。その理由は「いま全員一致で決定したら、話し合う機会が失われてしまうから」。オリジナル版のヘンリー・フォンダと同じく、彼は「疑問を持つ」「それを表明する」「結論を出す必要があるなら、そのために努力する」ことの大切さを身を持って示す。
その後の展開もオリジナル版をほぼなぞっているけど、(アメリカの暑い夏に対し)寒い夜という状況、現代ロシアの情勢が色濃く盛り込まれていること、それによりラストがひとひねりされていること、室内の様子以外の場面が挿入されること(何度も出てくる、戦車の上で死んでいる男は何なのかよく分からなかった。たんに戦争の悲惨さを表してるのだろうか)、おじさんの話が長いために映画の長さも1・5倍になっていることなどが異なる。シャンテの狭い座席で160分はきつかったけど、それ以外の違いは面白かった。
おじさんの顔ばかり延々と見せられた後、ラスト近くに青年が激しく踊るシーンが入るのも、よいアクセントになっており楽しい。


50年前と今とでは、推理ものに求められる緻密さが異なるからというのもあるだろうけど、今作では、青年が無罪であることを論理的に証明するというミステリ的な楽しさは薄い。映画が終わっても、結局のところ真実はあやふやな印象を受け、それが現代らしく面白く感じられた。



「あの(体育館内の)パイプを見たか?40年前から壊れてる。修理されるのは…」 「40年後だな」


陪審員たちが携帯電話を預けるビニール袋。私ならあんなとこに私物を入れとくのは不安だ。幾人か…もしかしたら皆…はハンカチを持ってるけど、どれもくしゃくしゃ。用意された美味しくはなさそうなサンドイッチと水筒。日本人の私の目からするとどれもしょぼくて可愛らしい。


この作品はたしかにユーモアも備えているけど、場内では、正直「そんなに可笑しいかあ?」と思うようなところでも大きな笑いが起きていた。想像だけど、暗い情勢を知らしめされる中で、無理矢理にでも笑いどころを見つけて楽しんでいるように感じられた。



「皆、芝居を観る前から笑いたがってるのさ
 ほんとのことを知るのが怖いんだ
 俺が真面目な話をしても、冗談だと思って笑いやがる」