幻影師アイゼンハイム



19世紀末のウィーン。当代人気の奇術師アイゼンハイム(エドワード・ノートン)は、ある日の舞台で少年時代の恋人ソフィ(ジェシカ・ビール)と再会を果たす。互いを忘れられない二人は逢瀬を重ねるが、やがて彼女の婚約者である皇太子(ルーファス・シーウェル)の知るところとなる。
(以下ネタばれあります)


奇術ものということで、近作でいうと「プレステージ」のような重厚なものをイメージしていたら、あのように男の生きざま云々という話ではなく軽いラブストーリーで、それはそれでとても楽しかった。予告編からは想像できない意外なシーンもある。
加えて「自分の幸せや都合を行動原理とする人間が、公のために生きる人間を出し抜く」(出し抜くというのはいい言い方じゃないかも、自分の目的を達せられればいいんだから)という内容が、全くもって私の好み(笑)ちなみに同行者の観賞後の第一感想は「大脱走でも、ジェームズ・コバーンのようなやつが結局うまくいくんだよな〜」


映画の語り手といっていいウール(ポール・ジアマッティ)のキャラクターや演技がよかった。皇太子のお抱え警察官僚だが、奇術師の捜査でネタを知りたがるなど無邪気で可愛げのある男。朝食の席にアイゼンハイムを呼び出した際の食べ方に、いわく「肉屋の息子」が世で頑張る、自然なかんじが出ていた。


亡霊を呼び出すショーで人気を博したアイゼンハイムは、ウールに「詐欺罪」で勾留されると、窓の外に集まった「信者」に向け語りかける。



「君たちが見たものはトリックだ、死者を生き返らせることなんてできない
 希望を与えてしまったとしたら申し訳ない」


その後彼は「説明したんだから「詐欺」ではない」と言い残して立ち去る。うまいやり方だ。彼は「信者」を持ちながら戸惑うことも奢ることもせず、ふつうに仕事をこなし、ふつうにお金を貯め、大切なもののために行動する。いい生き方だと思う。


衣装や劇場の内装などのセットや、エドワード・ノートンが自ら奇術の道具を作るシーンも面白い。
時代背景もあり、登場する男性は皆立派なひげをたくわえている。体質はあれど、その生やし方にキャラクターが現れているようで注目してしまった。エドワード・ノートンのそれは、異様に黒々としており蹉跌か「フリカケ」みたい。
公爵令嬢のジェシカ・ビールの服装もかんじが良かった。ラストの現代的な乗馬服など、身体の線がきれいに出ており優雅だった。