地上5センチの恋心


すごく面白かった。馬鹿馬鹿しい話…なんだけど、カトリーヌ・フロが浜辺で振り返るとき、ジョセフィン・ベイカーの歌声で踊るとき、映画っていいなあとしみじみ思わされた。



オデット(カトリーヌ・フロ)は、夫を亡くし化粧品売り場で働きながら二人の子どもと暮らす主婦。眠る前にベッドで読む、バルタザール・バルザン(アルベール・デュポンテル)のロマンス小説が最高の楽しみだ。サイン会に出かけ手紙も書くが、彼女の名が人気作家の記憶に留まることはなかった。しかしある日、批評家や妻の言動に傷ついたバルザンは、オデットの綴ったファンレターに目をとめ、住所を頼りに家を訪れる。


冒頭、ショッピングセンター(日本で言うなら西友やヨーカドーみたいなかんじ?)の化粧品売り場で働くオデットの服装…ピンク系のニットにスカート…がすごくすてきで、心惹かれた。憧れの人のサイン会のために着替える同じくピンク系のスーツや、ラストに海辺の家で纏う紺色のワンピースも印象的。どれもぴったりとしており女っぽく、かつ動きやすそうで、彼女くらいの年齢になったらぜひ着てみたいと思った。
ただし下着が貧乏くさいのは好みじゃない(笑)それに、下着同然でくつろぎながら足元はふつうの靴なんて、私なら耐えられない。


例えば最近だと「ペネロペ」の美術にはすごいな〜と感動したけど、この作品のインテリアには、ここ数年劇場で観た映画の中で一番そそられた。
タオル掛けやのれんなど、可能な限り全てのものに「装飾」の意味が付与された、あまりにも安っぽく落ち着かない部屋だけど、見る分にはうきうきさせられる。ちょっと話がずれるけど、子どもの頃、友達の家の机の引き出しから栗きんとんが出てきたのを思い出した。3姉妹が好きなものを所構わず置いてる家庭で、遊びに行くのが楽しくてしょうがなかったものだ。


「結局…おれは尊敬されてないんだ」
私は人間関係において、尊敬したい・されたいとは思わない(他に求めるものがあるから)。しかしもちろん、尊敬されたいと思う男がいて、彼を尊敬する女がいて、二人が互いを良しとするなら、その瞬間は幸せなことだ。「ノーベル賞って…小説家ももらえるの?」というオデットの言葉に破顔一笑するバルザン。いつまでもこんなやりとりが続きますようにと、他人事ながら願ってしまう。
それにしても、バルザンの寝方が、いかにもああいう男ぽくて可笑しかった。横向きのうつ伏せで、片手が枕の下に挟まれちゃってる。大体もし誰かに尊敬されたいなら、窓辺で自分を抱きしめてるだけじゃなく何か行動しろと思う(「ロッキー」にはなってたけど・笑)


「あんな小説、美容師や売り子にしか受けないわよ…安っぽい人形や、夕焼けの写真を大事に飾っちゃうような類の読者ね」
オデットの寝室の壁一面に貼られた、夕焼けの写真。シルエットの男は女の額にキスをしている。「掌へのキスは懇願の…」とはくらもちふさこの「おしゃべり階段」に出てくるドイツの何とかいう人の言葉だけど、額へのキスを夢みる女は、どういう関係を望むんだろう?
オデットは、憧れの人のことを思って浮かれた後「ほらほら、落ち着いて」と自分で自分をなだめる。しかし物語のラスト、同じセリフをその彼が言ってくれる。そりゃあそっちのほうがいい。


例えば初めてのサイン会で緊張のあまり自己紹介できなかったオデットが、なぜ二度目にはあれほど喋れたのか。この映画には疑問や違和感など幾つかの「引っ掛かり」がある。しかしカトリーヌ・フロの姿形と演技、加えて彼女を取り巻く家族やインテリアなどがそのエネルギーで全てを包み込み、大きな楽しさを与えてくれる。



「あなたに出会って、私は私に…オデットになりました
 朝は喜んで窓を開け、夜は喜んで窓を閉めます」
   (オデットが憧れの人に宛てたファンレターより)