春の一日


ヴィタメールのケーキでお茶。美味しかった。ごちそうさまでした。


書店に時節柄か「東京での新生活」コーナーがあり、なつかしい「TOKYO STYLE」(ASIN:4480038094)が置いてあった。撮影されたのは91〜93年、もうそんなに前なのかあ。写真のこと全くわからない(写真集もらっても、せいぜい一度しか目を通さない)私が、自分で買って、熱心に眺めてたものだ。
手にとってぱらぱら眺めると、当たり前だけどどの部屋にもパソコンがない。理系の人の所にたまにマッキントッシュが見受けられるのみ。文庫版(96年)のあとがきで都築響一は「取材した人たちの9割近くはもうこの部屋に住んでいない」と書いてるけど、今は皆、どういう部屋に住んでるんだろう?
ところで、よく言われることだけど、写真に撮ると自分の部屋って全然違う顔を見せる。そこまで手間かけなくとも、たとえば外出する際、玄関や部屋の戸口から他人になったつもりでふと眺めてみると、意識的にそういうアングルで見る機会ってないから、面白い。あれが見えるのはマズイ、と気付いたり。
私は自分にデザインのセンスが無いことが分かってるので(分かってるだけエライと思ってる・笑)モノを置いたり色数を増やすのが怖いし、物が多いとイライラして捨ててしまうので、この本に出てくる多くの部屋にはたぶん住めないだろうな…


足が痛かったので、以前通りすがりにみかけた、治療院ぽいマッサージ屋に入ってみた。若い韓国人男性の店員さんが数人。雰囲気はわるくないけど、マッサージ周辺の流れ(コースを決める→コートやバッグを預ける→着替え、など)が曖昧で戸惑う。マッサージ自体はとてもうまい。しかしいきなり何も言わず(コースには入ってない)肩を揉んでくるし、覚束ない日本語でなんだかんだ話かけてくるし、周りでお茶をひいている(…とは言わないか)お兄さんたちは向こうの言葉でおしゃべり。落ち着かない…と思っていたら、別の女性客がやってきた。声が大きいので聞くともなしに聞いていると、○○ってのはこういう意味で…日本語にはこういう言葉があるんだよ…などと慣れたお姉様口調で付いた人と話をしている。そういうのが売りなのかあ。
帰りにふとみたら、岩井志麻子のサインが飾ってあった。