美女と野獣



新宿ピカデリーの一番大きなスクリーンが、サービスデーでもない平日の夕方にほぼ満席なのには驚いた。見てよかった、楽しかった。エマ・ワトソン演じるベルがポット夫人(エマ・トンプソン)の「まっすぐベッドに戻ってね!」の一声に何かあるな、探検探検!と階段を一段抜かしで上るところがよかった。
(映画において、誰かが階段を段抜かしで上るシーンって好き。意味がないことに意味がある、例えばある程度若い男だということを表しているだけでも楽しいし、本作のこの場面のように、逸る気持ち、あるいはそういう性分を表しているのもいい)


呪いが解かれるという大団円に向かう馴染みの物語の中で、今回まず私に向かって浮かび上がってきたのは、希望は持つけどダメだとしても「仕事」は出来る!と、微妙ながら力強い態度でベルを迎える召使達の姿。ルミエール役のユアン・マクレガーを始め、オリジナルのスタンリー・トゥッチなど目も眩むようなキャストを揃えたわけだ。ミュージカルのユアンはいつも最高だし、体の形の変えようのないポット夫人のダンスもいい(笑)
とはいえ冒頭からのミュージカルシーンの数々、いくらユアンが輝いていても私には次第に煩く感じられてきたけれど、その分ベルと野獣の、それこそベルがくるくる回るだけというようなシンプルなダンスシーンが目に新鮮だった。


召使達が夜な夜なチェスや音楽に耽る姿に、残りの時間をそうして過ごしたっていいじゃないかと思いそうになる。そうするしかないからそうしているというのに。モラトリアム…とは逆だけど、どこか通じる切ない甘さを感じて、浸ってしまいそうになる。同様に、お城で本を読み語らい合うベルと野獣の姿にも、この時がいつまでも続けばと思ってしまう。ああ、「外」のことは何て面倒なんだろうと。
でもベルは言うのだ、「自由無くして幸せは無い」。でもって自由は「外」に行って渡り合うことで手に入れられるのだと。「見掛けで人を判断するな」という警句が一番当てはまるように思われる村人達の「本性」には震えたけれど、まあその辺は、めでたしめでたしでよかった。


ベルと野獣が「パリ」へ出掛けるくだりに、始め「シャーロック」の精神の宮殿を連想し、いや、あそこには「一人」でしか行けないかと思い直すも、医師のマスクから謎を解くのに、今度は「タレンタイム」の、ムルーがマヘシュに手話で告白される場面を連想した。その時には分からなくても、覚えておけば「分かる」時が来得るのだ(って変な言い方だけど)。