メットガラ ドレスをまとった美術館



毎年5月の第1月曜日(原題「The First Monday in May」)にメトロポリタン美術館で開催されるメットガラには多くの人々が関わっているが、その中心は展覧会担当の、ガラで「今夜の真のスター」と紹介されながら(作中では)壇上に立たず一人、展示を見て回る服飾部門キュレーターのアンドリュー・ボルトンと、ガラを主催する米ヴォーグ誌編集長のアナ・ウィンターである。二人の心情を、彼のは冒頭、彼女のは終盤に明かす作りがうまい。バズ・ラーマンの「彼女にとってガラは商業的なイベントじゃない」に続いて「ファッションはもっと重んじられるべき」というような言葉の入るタイミングが絶妙。


METが初めてファッションに関する展覧会を開催したアレキサンダー・マックイーンに話が始まるのが、ボウイ展を見て程無い私にはタイムリーだった。今なお美術館の地下に追いやられている服飾部門のスタッフは扱いの悪さを嘆き「ファッションには概念と審美眼と技術が必要、それはアートだ」と言うが、後に映るアナの言動には前の二つが恐ろしい程あるように見えた。加えて、これまで映像で見たことのある美術館の搬入といえば仏像や化石などがやって来る場面だから、服が運ばれてくる様子がまず面白かった。


アンドリューは自身の生い立ちにつき、ボーイ・ジョージが表紙の雑誌を皮切りに「初めて影響を受けた文化はニューロマンティックだった」「ファッションでもってジェンダーセクシュアリティの問題に勇敢に立ち向かっているのが素晴らしかった」と語る。それでもって立ち向かえるということは取りも直さず「社会」がそれらを絡めて認識しているからで(「ファッション」といえば「美人のモデル」というイメージがつきまとう、といったふうに)、そのこともファッションとアートとの境界に関する問題が生まれる一因じゃないかと考えた。


予告編の「今さら明の壺は無いでしょう」に予想していたように、本作には、数か月前にヴォーグ誌が起こしたのと同じ文化盗用問題も描かれている。「美術展は挑発的でなければ」との信条の元、考えたあげくに仏陀と人民服を同じ場に展示したいというアンドリューに、美術監督として呼ばれたウォン・カーウァイは「政府にとってではなく中国人や仏教徒に対する侮辱となりえる」「挑発はそのことによって行うべきではない」と反対する。彼は後には、他の展示内容につき中国人のスタッフが「なぜ古いものばかりなのか」と詰め寄る会議の席で、「中国には今、展示できるものは無いのだから、これから作らねばならない、そのためには過去を見ることも大切だ」と口にする。この「結論」によって展覧会は前に進む。


アンドリューは展示の指示において、真逆の概念として「ディズニー」を何度も挙げるが、映画のエンディングでは、ガラの翌朝にアナのスタッフがレッドカーペットのリアーナの写真を見て「ディズニーみたい!これで表紙は決まり」と叫ぶ。同じディズニー社でも前者はリゾート、後者は映画を指してるんだろうけど、面白かった。そういうものだと思った、そういう映画だった。