ボーダレス ぼくの船の国境線



自転車を草むらに隠した少年が「国境、侵入者は射殺する」との看板を越えて川に潜ったところでオープニングクレジット。クレジットを出す間に水中を見せているのか、彼が本当に潜っている間にクレジットを出しているのかと考える。同様に、船で一人の彼の、手で紐をいじったり貝殻に息を吹きかけたりといった「遊び」も、「映画」のためなのか本当にするものかと考える。見ているうちにそうしたことは忘れてしまった。
冒頭からしばらく、廃船の中を動き回る彼はどうやらルーティンワークをこなしている、生計を立てている、随分前からそうしているらしいと分かる。他のカットよりも一拍長く映る「大切な物を入れた箱」の中身から、彼が家族を失い一人きりであることが分かる。共に在るのは陽の光に舞う埃だけ。


(以下「ネタバレ」です)


敵対していた相手の「歌を口ずさみながら長い髪を編むシルエットを目撃してしまう」という場面で、正直何だこんな話かと思ってしまったのは、この映画の(「背景」以外)があまりに「王道」だから。こんなこと思っちゃいけない、と思いながら(なぜなら「ありえない」から)昔リアルタイムで見た日本映画の数々やら何やらを連想していた。
「彼女」が空腹に耐えかねて彼の魚を「買い」に出向いた、自分のものより歩幅の小さな足跡をたどり、手でなぞった後、自分の心に動揺したのか彼女の張った「ボーダーライン」をがむしゃらに破壊しようとする姿には、「なんだこんなもの」という(聞き慣れた・笑)セリフが脳裏に浮かんだ。「銃を奪って隠す」姿には(状況は全く違うのに)羽衣伝説を思い浮かべた。


少年は「小さな父親」となる。これまで黙々とこなしていた仕事も、彼女の居場所が不明だと身が入らない。少女と赤ちゃんの休息を邪魔しないよう扉をしっかり閉めて精を出す作業の合間に食事が出来ている場面には、これもそんなふうに感じちゃいけないと思いつつ笑みがこぼれてしまった。
中盤は「ままごと」という言葉を思い浮かべていた。ままごとって、きっと、好きな時に始めて終わることが出来るものだけが「幸せ」と同義であって、否応なしのものは無と隣り合わせなのかもしれない。彼女は「(既にない)家に帰りたい」のだから。彼がままごとを楽しんでいるかのように見えるのは、多大な空白に慣れてしまっているせいなのだから。