滝を見にいく



公開二日目、新宿武蔵野館にて観賞。面白かった。こういう映画って私には必要。
以下「ネタばれ」は無いけど、見るなら何も知らずに見た方がいい類の映画だと思う。


オープニングはツアーガイド(黒田大輔)の顔のどアップ。おばちゃん達以外の人物が登場すると知らなかったので意表を突かれる。まばらながら騒々しいバスの中に三々五々に陣取っているおばちゃん達。「ばらばら」の意味が変わってくる終盤、この場面を見返して比べたくなる。
用をなさない喋りがようやく「見事な紅葉です!」に辿り着き、右側の車窓に鈴なりになるおばちゃん達。当の紅葉は見せないのかと思いきや、確かに見事な秋の山がスクリーンいっぱいに広がり、オープニングタイトル。「88分」の作品と聞いていたので、こんなゆっくりしたテンポで大丈夫かなと思うも、全然大丈夫、丁度よかった。


カメラはちょっとしたキーとなる場所を定点で捉える。スーツの下に運動靴というガイドの幅広の足に、可笑しくもどこか不吉なものを覚える。それから次々と、ばらばらに、そこを通過するおばちゃん達。普段から動いている人はハムストリングスを使うものだ(カメラを構えたり太極拳をしたり)などとどうでもいいことを思う。おばちゃん達の「やだー」もこのあたりから色々聞ける。第一声は、全然嫌じゃない、喜びのそれ(笑)
とくに前半はアウトドアものとしても「普通に」面白い。例え低山でも両手を空けて、登山靴を履いて、融通の効く重ね着をして、食糧を持っていかなきゃなあとつくづく思う。持っててよかったインスタントコーヒー(笑)でもって見終わる頃には、ああ全員ぶじでよかった!とつくづく思う。


「とくに前半」と書いたのは、後半、というか二日目になり、身が汚れるにつれ何かが剥がれ落ちるのと共に、そこは彼女達にとって「アウトドア」であってそうではなくなってくるから。前半、腰を痛めた一人が「なぜ私が先頭なの」と聞き「遅い人が先頭なのよ」と返される場面にうんうんとうなずいたものだけど、翌日には、彼女の腰が治ったからというのもあるけど、そういう野外活動のルールは関係なくなる。
「滝」に辿り着いた時には、皆てんでに好きなことをする。滝坪に近寄る者(彼女は皆を手招きしない)、歌う者、踊る者、一服する者。「私たち、どこへ行ったらいい?」「好きなところでいいんじゃないかな」。先日見た「紙の月」のクライマックスの会話にもあったような、わざとらしいほど含意あるセリフで映画が終わる。


棒切れを持ったおばさんと巻いたつるを持ったおばさんが近付き合う、そこへ音楽が流れる、何てことない一幕の素晴らしいこと。
誰かと誰かのシーンはどれも随分な工夫を持って撮られており、山道をゆく足元を追い掛けたり並んで寝る皆を見下ろしたりと相当色んな構図があるのに、なぜか全編通じて舞台やセットのイメージがつきまとう(上記の場面など突然「ハリーの災難」を思い出した)それなのに、「それ」を知っているからか…知らないものだってあるのに…近年見た映画でこれ以上は無いほど、「匂い」や「味」を感じた。焚き火に果実、コーヒー。最後の雨音には、山に降る雨の匂い。


一人が蛇を持って皆を追いかけ回す姿は、数十年前の小学生のようにしか見えず、その場面を皮切りに、おばちゃん達は「子ども」に戻る。
予告編にも使われている、「師匠」が冠を被っている場面は、それを載せた人が恋の話をするとでもいう遊びだったんだろうか?その時、恋の話が特に無ければどうするのかなと想像すると、この集まりの場合、まあいいかという感じがする。「女ってこういうもの」にギリギリで抵触しない立ち位置がいい。