イントゥ・ザ・ストーム



「竜巻映画」という前情報のみで出向いたので、始まって間もなく、POVだ〜これは酔う!と心配になるも、大丈夫だった、どころか、すごく面白くて、私の今世紀入ってからのディザスター映画ナンバーワンに躍り出た。


パーティの皆が瞬時に適切な対処法を思いつき、協力し合っててきぱきと実行していく様が気持ちいい。あんな災害に遭ったことが無いから、ああいうこともあるのかもしれないと思う。
印象的だったのは高校の卒業式で皆が角帽を一斉に投げる画、あの場面があんなにも短い映画は初めて(笑)暴風の先っぽに翻弄されるのをちょこっと映すだけ。こじつけだけど、事後に幾人もの口から出る「未来(を気にする)より今」という言葉に沿っているようにも思われた。


一歩ずつ迫ってくる落雷に始まり、竜巻の最初の一本(というのか)が電線と電柱をなぎ倒しながら進む様は、一作目の「ゴジラ」が送電線を破壊する姿に似ている。それから包囲、並列、火との一体化、最後に合体した巨大なそれがスクリーンを覆い尽くす。幾つも続けてやってくる、あるいは「目」があることによる、人間にとっては、再びやってくると怯えながらのインターバル。竜巻の「生態」を余すところなく見せてくれる。
竜巻がこちらに迫ってきたり火の渦となったりする様子は「魔法」を見ているよう。でも「魔法」を描いてる映画のどれよりもすごいんだからすごい。映画が主に皆の「目」で紡がれる中、当たり前だけど竜巻自身の「目」には何の目的もない、そこに人智を超えたものの正しい描写を感じた。


「ストーム・チェイサー」のタイタスを始め、誰かが登場する度に字幕で説明される名前と役柄は、作中の誰かの意思ではなく映画の意思。冒頭からしばらく、一体作り手は「どういう時」にあれを必要だと考えるんだろう?と考えながら見ていた。
ホビット」シリーズの美丈夫ドワーフ王ことリチャード・アーミティッジ主演というのにつられて見に行ったんだけど、少なくとも私にとっては色の無い彼の、この映画に合ってること。登場時、朝食の席に着いてるだけでも分かる上半身の美しい広さ、流しに立って更に分かる体格のよさが眼福だった。