マン・オブ・スティール



「スーパーマン」のリブート作品。新宿ミラノ1にて2D字幕版を観賞。


(以下「ネタバレ」あり)


オープニングは必死にいきむ女性の顔のどアップ、クリプトン星にてカル=エルが誕生する場面。えっこんなとこから始めるの?とびっくり&意気消沈しちゃったけど、作り手にとっては重要なんだろう。ゾッド将軍はああして生まれなかったから、ああいうふうになったんだよね。他の皆はああなっていないから資質にもよるんだろうけど、私には、お国(星)の行為のツケを全て背負った悲劇の人に感じられた(原作は知らない)。
「自分達夫婦も滅びるべき存在」と考えるジョー=エルと「進化する者が勝つ」と考えるゾッド将軍の関係は表裏一体のようでもあり、すごく面白いのに、二人のやりとりは、頭の中で補完して少々の味わいが得られるくらいで、クリプトンでの一幕の時も後の「再会」の時も全然ぴんとこない。役者はラッセル・クロウマイケル・シャノンなのに勿体無い。もっともシャノンはこの役に全然合っていないように思われたけど(あんなかっちりした「ボス」は無いよ!笑)


私が一番引っ掛かったのは、ジョー=エルが地球(人)を「導いてやらなければならない存在」とみなしてるところ。カルに対し「お前が地球人を救うのだ!お前に皆が続くのだ!」なんて刷り込む、その根拠は何なんだろう?妻も今際の際に同様のことをつぶやく。なぜ彼らは地球が「このままじゃいけない」と思ってるんだろう?何か聞き逃してるのかな?
ジョー=エルのうるさいことといったら、霊的存在になっても「地球との架け橋になるのだ」などとごちゃごちゃ口出ししてくる。話の内容以前に、長い!一言多い!とうんざりしてたので、終盤のゾッド将軍の「死んでも説教する気かよ」というセリフには笑ってしまった。でも、そこまであれこれしないと、独りぼっちの異星人は生きていかれないのかもしれないな。


リチャード・ドナー版(そんなに数見てないけど、スーパーヒーローもの映画の中で一番好き)では育ての父と子のやりとりは「虚栄心」に関する短いもののみだけど、本作のケビン・コスナー演じるパパは「お前の存在は神の御技じゃない、宇宙に他の生命があるという証明だ、一生掛けてそれを突き止めろ」とまで言い切っちゃう。ドナー版で実の父に対面した息子がまず「ぼくは誰?」と問うのに対し、本作では開口一番「あなたは誰?」なのは、アイデンティティの根っこを仕込まれてたからかな。そうして育てられた彼が、誰をどう信じればいいか迷う中、「告白」するのが教会でイエスを背にして、というのは印象的な場面。
ダイアン・レイン演じる育ての母が、クラークに「適応」の仕方を教えるというのが面白い。後半の戦闘で、この「適応」問題がもっと活かされればよかったのに。見送るロイスの「クリプトン化が進んだら、あなたの力はなくなっちゃうの?」というセリフは何だったんだ。


超人同士のアクションシーン、最初は新鮮だったけど、延々と何幕も続くもんだから、次第に飽きてきてしまった。たまに「ドラマ」が挟まると思いきや、何の前フリもされていないから心が沿わない、ロイスの同僚が死ぬか生きるかというアレだし(同居人は「ビルがこっちに倒れてくるのに何で右か左に逃げないんだ!」と怒ってた・笑)
結局、ラッセル・クロウが銃を構える姿、かっこよかったなあと一番目に焼きついてる始末。それでもラスト、ゾッド将軍が鎧?を脱いでからの数分は楽しかった。肉弾戦が好きだというのと、超人同士ってこういうふうなのか、あるいは自分が超人ならこんなふうに飛べるのか、と体感できそうだったから。加えてここへきてようやく、ゾッド将軍を演じるマイケル・シャノンがわずかながら輝いて見えたから。彼は「ボス」なんてやってるより、一人でブチ切れてる方がお似合いなんだから(笑)


更に言うなら、息抜き的に入れられている、楽しい(はずの)やりとりがどれもダサい!キスの後に「初めての後は冷めるって聞くわ」「それは地球人の話さ」、あるいは偵察機を落して去ったスーパーマンを見やり「何にやついてるんだ?」「セクシーだなと思って」って…面白いかあ?ああいう部分が粋じゃない、しょぼい映画って辛い。加えてこれは本当に私の好みだけど、クラーク・ケントの「ドジっ子」描写と、ロイスとの飛行シーンがどれも全然可愛くないのが詰まらなかった。
「スーパーマン」が現れる前にスーパーマンのマントが存在する、というのも謎だ。それについては、ドナー版も本作も「なぜか北」を目指してしまうように、赤いマントを志向する何かが彼の中にあるのだ、と考えることにした(ものすごく「非科学的」な答えだけど・笑)