真夏の方程式



あまりに面白く見入ってしまった、夏の終わりにまた見たいな。


冒頭、海から上がった成実(杏)が、後ろ髪を三つに折り曲げて水を絞る場面から惹き付けられた。彼女が何度も見せる、焼けた素肌の背中(の上の方)がいい、「皆に愛されてる」のにふさわしい。母親「せっちゃん」(風吹ジュン)が同じくロングヘアというのもいい、彼女のその髪の美しさが映えるのは、今より若い頃の「回想」シーンではなく、最後に娘と向かい合う時だ。
杏が背中なら、福山雅治が魅せるのはすねというかはぎというか。私は男性の膝下が大好き、彼のも好みって程じゃないけど美しく、いかにも彼らしかった。


同じ場面が違う映像で繰り返されるのが、ミステリーものならではの謎解きで使われるばかりではなく、タランティーノの映画の類のような快感を伴うわけでもないのがいい。湯川(福山)と一緒の夕食の席で「実験」しようとした恭平が止められる場面もよかったけど、一番ぐっと来たのはやはり、冒頭の海岸で、娘を見つけた両親がクラクションを鳴らして互いに手を振り合う場面。どちらも、その「(一度目との)違い」の大胆なこと。


「(せっかくの)夏休み」もの、というのもいい。死体が見つかる朝、小学四年生の恭平が目覚める、暑い部屋で汗をタオルケットで拭く、昨夜のスイカの皮にたかる虫(死体のそれとの対比)、そして彼にしてみれば生まれていなかったどころじゃない「過去」から始まっていた物語に巻き込まれ、夏の終わりに少し大人になる。
彼は「海」の音読みは知っていても「海原」は読めない、当たり前だけど生き慣れていない。四年生って、変な言い方だけど「バランスのとれている真の子ども」なんだよね。


終盤のとある場面にはどうしたって「砂の器」を思い出す。しかもあの「写真」をあそこで出すなんて、そりゃあ泣いちゃうよ(笑)
でも「今」は「昔」のような、個人が抗いようもない巨大な力が無いから…って、考えたら色々あるけど、本作はミステリーものの宿命、原作がある場合はそれに沿いながら、「犯人」に肩入れするようなストーリーの場合、「何も殺すことないじゃん」と思われないよう、ある程度の目くらましをしなきゃならない。そのために「悪役」を大げさにするとか、その人物にも「事情」を持たせるとか、そういうことはしないあたり、品がいいなと思った。
成実が、ある人物が一人で煙草を吸うのを見る場面を繰り返すことなどで、「そうなってしまった」物語を柔らかく作り上げている。作中二度目の煙草の場面で、ああそうだったのかと思う、必ずしも最初から見返したいとかじゃなく、数十分前の記憶を引っ張り出すのが楽しい。


湯川が恭平に対して初めて笑みを浮かべる場面(「名探偵だな」)、成実が湯川に対して同様に初めて笑みを見せる場面(「あなたと話していると疲れます」「僕もだ」)、その直前に私の方も口角が上がって笑顔になっていたので、一緒だと思い嬉しかった。これも映画の楽しさの一つ。
湯川が「頭がいい」からか?彼が物事を並行して行う場面も効いている。「海原の間」を捜索しながら一家について恭平に訊ねる場面、警視庁とPCでやりとりしながら成実のブログを見る場面など。原作もそうなのかな。


警視庁の刑事役の吉高由里子が登場した時には、これ以上メインキャスト要らないよと思ったけど、まさに「丁度いい」としか言いようのない出具合だった。上げ過ぎの睫毛と「どゆことですか?」などの喋り方。最後に杏の隣で涙を流し、彼女を支える姿に、ああ居てくれてよかったと思った。


冒頭の殺人の場面の橋からの落下と、終盤の海中での浮上。携帯電話が海をゆく場面も面白すぎる。電車が最初と最後を彩るのも嬉しかった。


追記:
twitterでフォローしている方のツイートに、作中覚えた違和感をふと思い出した。上記の「成実が湯川に対して初めて笑みを見せる場面」、私には成実が湯川の「魅力」に丸め込まれているようにも見えた。本作には駅が二度出てくるが、湯川がこの土地に関わるのはそこを降り立ってから発つまで。物語は夏と同時にきれいに終わるけど、あそこはあの後、どうなるの?と。冒頭の列車内の一幕でも描かれている「ものを知る」「話し合って解決を目指す」というのが、何にでも「通用」するわけじゃない。原作があるとはいえ映画は独立したものだから、そのことについての姿勢を確かに示してほしかった。