ザ・ディープ



特集上映「もうひとつの北欧」で観た「ヒプノティスト」(感想)が面白かったので、こちらにも出向いてみた。1984年にアイスランド沖で起きた海難事故を題材にした作品。


エンディング、「猟師達に捧げる」との字幕の後、「本人」が病院でインタビューに応じている映像が流れる。殆どは作中に有った場面だけど、最後の一言だけは無かった。「あんなに広い海に一人きりだったのに、誰も気付かないんだ…」。これはそのことを描いた話なんだなと思った。あまりにも一人きりだった数時間。妙な言い方だけど「人間」を描いた映画、という印象が残った。


まずは街と主人公グリの「日常」が描かれる。顔見知りばかりの(「本島じゃない」)島、吹雪もものともしない夜の遊び場、男達の小汚い暮らし。牛乳、パックごと飲むなよ!と思っていたら、後に本人も罪悪感を覚えていたことが分かる。また出港の朝、目覚めて階段を下りる足のアップに丈夫そうだと思っていたら、遭難時にはこの足が悲惨なことになる。
タイトルと共に船が出る。始めのうちは目新しさが面白かったけど、次第に不穏なものを感じる。「事故が起きると知っている」からではない。例えば、網が海底の岩に引っ掛かるが何とか切り抜ける場面に、普段からこのように危ない橋を渡っているのだと分かる。走行中も事故後も頻繁に挿入される、海中の映像が効いている。
本島からやってきたコックが提案した「酢豚」は船長によって「ポークステーキ」に変更され、台所で食事する猟師達ははサンドイッチよりこの方が楽だからとパンとペースト?を机に直置きする。余裕が無い。「ベータのビデオデッキだから映画なんて見られない」というセリフにお金が無いんだなと思っていたら、それじゃ済まず、ウィンチが引っ掛かった際に器具が動かなかったため?船が転覆、救命ボートも錆びており使えない。そんな環境で働いているのだ。


遭難してからが長い。カメラが引いて「暗い大海に一人きり」の画になるまでも長いし、それ以降も長い。例えばゼメキスの映画ほど洗練されてるわけじゃないけどこれらの描写は見応えたっぷり、しかし時間的な「長さ」も感じる、その按排が丁度いい。
一旦身をまかせて沈んだグリが見る「走馬灯」の中に、彼の生まれ育った、本作の舞台のウエストマン諸島でかつて火山が爆発し、全島の住民が避難する場面がある(爆発時の映像はおそらく実際のもの)。大爆発の画の後、グリはやっぱり死にたくないと必死で浮かび上がり、「あと一日生きられたら」何をするか考える。牛乳を(「ママを喜ばせるため」)コップに注いで飲み、バイクのローンを支払い、バイクに乗り、好きな人に告白する。そしてカモメに語り掛け、泳ぎ続ける。
「陸地」に着いたらおしまいではない。空は暗いし気温は低いし波は高いなんてもんじゃない。岩に体を預け、荒々しい波に翻弄されながらも一息ついてしまう様子が心に残った。岸壁を上れないのでまた海に戻り、違う岸から上り直す。「上」に着くと今度は、雪の混じる岩場を足の裏を血だらけにして歩き続ける。


予告編では「生き残った彼に更なる試練が待っていた」という点が強調されてたけど、これはそういう話ではない。あのような事故が「日常」の中に起きてしまった、という話だ。
グリは研究者に「極寒の水中に6時間も居てなぜ助かったんだ、科学的に解明したいから実験に協力してくれ」と依頼される。横で母親が一言「奇跡を調査するの?」。でもって連れて行かれるのがキリスト教の病院だというのが面白い。
更に連れて行かれたロンドンの病院で、遭難時と「同じ状態」にさせられた彼は、また火山のことを思い出す。今度は灰まみれの家に戻った時の場面。福島のことを思わずにはいられなかったけど、災害はどれも違う、人災は全く違うものだもんな。
「周囲の人々の反応」も、取り立てて「ドラマチック」なものではない。そして彼は「コップ」の件は実行するが「彼女」には話しかけられないまま、静かに「仕事」に戻る。


全編を通じて、当時のウエストマン諸島の状況、グリが猟師になった理由などが小出しに描かれる。「皆、本島に出てしまって戻らないから、猟師になれば好きな船が選べるんだって」。今現在、彼や島の人々はどうしているだろう?と思った。