舟を編む



変な言い方だけど、こういう「普通に面白い」作品を観た時こそ、映画って楽しいなあ!という気持ちになる。質のいい紙をそっと重ねていくような印象を受けた。原作は未読。


オープニングは海の水面。物語の始まりは1995年、舞台はとある出版社の辞書編集部。タイトルは、「言葉の海を渡る舟」を「編む」という意味。
東京が舞台の映画の場合、いつもは観ながらあっここだあそこだとなるものだけど、電柱などの表示などから出版社の住所が神保町と分かるだけで、知っている場所が全く出てこず、自分のテリトリー外の話なんだなと思った。主人公・真締(マジメ)の住まいには「TOKYO STYLE」を思い出した、ああいう部屋も載ってたよね。ちょうど私が上京した年に出たこの本、大好きだった。


まず松本先生(加藤剛)の顔、それから彼と向かい合っている荒井さん(小林薫)の後頭部、彼の顔、西岡(オダギリジョー)の順に登場した編集部の面々が、松田龍平演じる馬締を「見つける」。下宿の大家タケおばあさん(渡辺美佐子)が言うように「人の気持ちが分からないのは当たり前」「だから言葉を使って話さなきゃ」とはいえ、始めのうち、マジメのことが全く「分からず」、何とか言えよ!と思っちゃうんだけど(笑)彼が「舟を編」んでゆくうち、言葉に出すか出さないかってことに関係なく、彼がこちらに流れ込んでくる。この変化が面白い。


職場と下宿の描写が繰り返される冒頭では、予告編でちらりと見た恋愛のくだりなんて要らないのになあ、と思ってたのが、マジメが香具矢(宮崎あおい)に出会って腰を抜かす場面から、彼のことを応援してしまった。観覧車のシーンがあれで終わりってのがいい。外から見た二人なんて要らない。ちなみにこの場面と「恋文」の翌日の場面において、マジメがかぐやに「辞書を引かないで!」と言われるのが面白い。これは彼が「辞書を引かない」ことを学ぶ話でもあるのだ。
かぐやの「どうぞよろしく」なんて挨拶、その後の満月をバックにもたれる画などからして、彼女もいわゆる「変人」だと思う。二人は共にちょっとしたアウトサイダー同士。マジメをかぐやが「包容」してるってわけじゃなく、男と女ってわけでもなく(まあ彼らの場合は男と女だから惹かれ合ったんだろうけど)、単に一人と一人が好き合って一緒に居る、という感じなのがいい。子どもが居ないのもいい。「普通」はそうだから、そういうの、もう要らない。


オダギリジョー演じる西岡、というかオダギリジョーがイイ男すぎて胸が苦しい。仕事絡みの場面はファンタジーめいてるけど、恋人・麗美池脇千鶴)との自宅での場面では、こんな男の人いるよなあと思い余計苦しい。「12年後」には若干うざいおじさんになってるのもいい(笑・「新人ちゃん」との場面)。
「社交的」な彼は、他人にとってはおそらく、いつも「こっちを向いてる」人。それが自宅の場面では部屋が常に同じアングルで撮られ、そのためもあって「横顔」が印象的。黒いブラインドをバックにしたその形の美しいこと。


それにしても、男に囲まれながら「女」として期待されないなんて、まさに理想の職場だよね(笑)あれほど少人数じゃ、数人がいなくなったりやってきたりするだけで、まるで雰囲気が違っちゃうという空気がリアルだった。