裏切りの戦場 葬られた誓い



冒頭、朝4時23分の電話に起こされるマチュー・カソヴィッツの隣で体を起こすのはシルヴィー・テステュー。彼女の出演作は観るようにしてるから、逃さなくてよかった。本作で顔が見られるのは計3分ってとこだけど、こういうふうに出てるものが却って味わい深かったりする(「黄色い星の子供たち」「冷たい雨に撃て〜」など)


1988年、フランス領ニューカレドニアのウベア島において、独立を主張するカナック族により憲兵隊宿舎が襲われ、4人が殺害、30人が拉致される。この事件は、フランス政府の武力制圧により10日後に「解決」した。本作は、後に手記を著した憲兵治安部隊の大尉フィリップを主人公にして描かれる。演じるのは監督と脚本を手掛けたマシュー。


私はいつも、「言葉」の方に物事をあてはめるのは馬鹿のすること、と思ってる。本作中の「政府は彼らのことを『テロリスト』とみなしている」「やつは一番の『過激派』だ」なんてセリフの数々に、またそういうことを考えた。言葉の意味は言葉の意味でしかなく、そのものではない。
近年なら「カティンの森」「オレンジと太陽」「黄色い星の子供たち」(本作とシルヴィーつながりでもある)など、作り手が伝えねばならないと考えた「真実」を「映画」にするのは素晴らしいことだと思う。では観た側はというと、私なんて例えばお茶しながらtwitterで感想をつぶやく、一時間後にはあれが買いたいとかあれが食べたいとか、翌日には違う映画に夢中になってる、そういうのがむなしく感じられる。でもどうしようもないから、もしかしたら、全然関係ないような時に、何か活かすことができるかもしれない、と思う。


始めの方で、飛行機から降りると先に(本来その役割でない)陸軍が来ているのを部隊の目線で捉えた場面や、島の上空を移動するフィリップをヘリコプターの外から捉えた場面など、なんていうことないんだけど、ぐっとくる。また「アルゴ」の冒頭にうんざりさせられた私としては、「その朝」の軽やかな(なんて言うと語弊があるけど)描写に胸がすく思いがした。フィリップの上司や「過激派」のリーダーなど、自分の意見を真摯に伝えようとする者たちの顔のアップも心に残る。終盤の長回しの戦闘シーン…といっても映っているのは「こちら」だけ、どうやったらあんな場面が撮れるんだろう?