アリス・イン・ワンダーランド


映画を観てあらためて気付いたのは、熱心なファンじゃない私にとって、「アリス」の魅力とは「アリスのような体験がしたい」に尽きるということ。穴に落ちながら棚のものを取ったり、小さくなって周囲の物にびびったり、動物と喋ったり。それらを「体感」するという「想像」が楽しいわけだ。子どもの頃「鏡の国のアリス」を読んだ後は、母親の鏡台をためつすがめつ眺めてたもの。
だから、「私の」理想の「アリス」映像化とは、終始アリス視点で、彼女自身の姿も無し、加えて、ちょっと遊びたいだけだから、めんどくさいことは嫌。そういう意味で、主観がほとんどなく、あちこち飛び回って戦わなきゃいけない本作は、あまり楽しくなかった(笑)
(まあ私の理想を突き詰めたら、映画じゃなくバーチャル遊園地になっちゃうか…)



原作なら、不思議の国は荒唐無稽で不条理で、現実世界とどっちがいい?なんて比較しようと思わないけど、この作品の不思議の国のキャラクターは「人間的」で、ある意味「リアル」。話も通じれば情も芽生える。冒頭に描かれる、行き場のない「現実」よりずっと居心地よさそうなので、物語が終わりに近付くにつれ、帰ってしまって大丈夫?と一抹の恐ろしさを覚えた。
もちろん(ディズニー映画の)アリスは自ら「帰る」ことを選び、映画とはいえあまりに無茶な「成長」ぶりで、「現実」を打破してみせる。しかしその態度は、自分が「善い」と思うことを相手にもしてあげるという、(私が苦手とするところの)「アメリカ」的なものでがっかりした。若さゆえの潔癖さ、残酷さと取ればいいのかな?ともかく、この「とってつけた」感には、こんな話、冗談だよ?というバートンからのメッセージを無理矢理読み取った(笑)


作中もっとも心打たれるのが、ヘレナ・ボナム・カーター演じる赤の女王の「やっぱり、愛されるより恐れられたほうがいい…」というつぶやき。「アリス」ってそういう、胸打たれたりするもんじゃないよなあと思いつつ、映画は映画だし、バートン作品だし、とも思う。
彼女の「私が長女なんだから!」とのセリフに、同居人が「横溝正史ものみたい」と言うので、ふしぎの孤島を訪れた金田一アリスか〜と可笑しくなった。


ちなみに新宿ピカデリーで3D字幕版を観たんだけど、今のところ私は、映画鑑賞において「3Dがもたらしてくれる奥行き」がさほど必要だと思えない。「眼鏡かけてる」違和感と差し引きすると、マイナスになってしまう。でも、以前にも書いたけど、モノクロとカラーみたいなもので、たんに慣れの問題なのかな。
何だかんだ言いつつ、それぞれの衣装やお茶会のテーブルなどのビジュアルが楽しかったので、2Dでもう一度観るつもり。見た目がいちばん可愛かったのはカエル☆