ダークナイト ジャパンプレミア


東京国際フォーラムで開催された、「ダークナイト」のジャパンプレミアに出かけてきました。愛するクリスチャン・べールをナマで見た☆
舞台挨拶に立ったクリスチャンは、「イメージそのまま」のアーロン・エッカート(ポケットに片手突っ込みっぱなし。わるい意味ではない)と違い、爪をいじったり足をばたつかせたり、受け取ったマイクを腿にコツコツしたりと、全然落ち着きがない。少し痩せた…というかやつれたようで、短髪のせいもあり「小坊主」というかんじ。でも魅力的だった。
バットマンのあの格好、動き、モービル、バイクなどから、アメリカってでかくて重いものがかっこいいとされる国なんだなあとあらためて思ったけど、そんな映画の主役を務めているのが彼だなんて、いまだに面白く感じる(本人も「いつもは観客が5人くらいの映画に出てるので…」と冗談を言っていた)。



年上の男と好んでつき合う女の中には、いつまでも自分が「年下」でいられることに快感を覚えるタイプもいるという説がある。現在の映画版バットマンブルース・ウェインの魅力は、年寄り衆に支えられることで際立つその坊ちゃんぶりだ。暮らしぶりのダサさも、それによって逆に好ましく映る。もう若者とはいえない年齢のブルースが、酸いも甘いも…というかんじでユーモアにも溢れたマイケル・ケインモーガン・フリーマンに尽くされ、彼等の話を聞いてるのか聞いてないのか分からないような顔で受け流したり会議室で爆睡したりする姿は、最高に可愛らしい。
ちなみにもう一つの魅力は、傷だらけの身体が真白なシャツに包み込まれているところ。今回はトレーニングのシーンがないのが残念だった。まあそういう話じゃない。


舞台挨拶でクリスチャンの口から、あるいはエンドクレジットにおいて、ヒース・レジャーの名が出るたびに会場では拍手が沸き起こった。
作中いちばん見ものだったのは、バットマンヒース・レジャー演じるジョーカーとのやりとり。アクションものというより、「正義の味方」と「悪者」…あるいはそれ以外の者、それぞれが自らの思惑を言葉で、行動でぶつけ合う話だ。


アーロン・エッカートは、パンフレットなどで「最凶」というコピーをつけられてるわりには、(変化後の)容姿もキャラクターもきわめてオーソドックスで拍子抜けした。あんなふうにアメコミ風のフリークスになったり、声を荒げて相手に迫ったりというのは、彼のイメージじゃない。ただ「トゥー・フェイス」になった際の、枕もとのシーツ?にちらりとついた血(あるいは体液)のさりげなさに、妙な色気を感じた。
アーロンについては、演技しているところより、たんなる顔やたたずまいのほうが魅力を感じる。今回も、法廷で登場した際の表情に、他人には理解されない道を共犯のように堕ちてみたいタイプだな〜と思わされた。



バットマンは正義のしるしだ、怖くなんかないぞ」
「それが怖いんだな…おれには分かってるんだ」
 (バットマンの偽物と、それをいたぶるジョーカーとの会話)


冒頭、ゴッサムシティではバットマンの偽物が横行し、弱いながらも悪者を退治しようと奮闘している。彼等はなぜそんなことをするのか?
「正義」とは、マフィアやジョーカーによれば「ルールを守る」「ルールだらけ」の者の行動だ。それにすがることで救われたい者もいる。いっぽう、金にさえ目もくれず、暴力で町を混乱に陥れようと駆けずり回るジョーカーいわく「おれは本能のままに生きる」(この言い方には疑問があるんだけど…)。
公開されたら再度観に行くつもりなので、このあたりのことについては、またそのとき書くかも…