SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁



公開初日、TOHOシネマズ新宿にて観賞。「テレビドラマの特別篇」だけど映画館で見たのでこのカテゴリに。まあ最早(映画もドラマも)同じようなものか。


(以下「ネタバレ」しています)


日本で上映する際の特典映像として、本編の前に「脚本家スティーブン・モファットと巡るベーカー街221Bの旅」、後に「シャーロック製作の裏側 主要キャスト・スタッフとともに」が見られた。「同じコート」ではしゃぐマーク・ゲイティスとアンドリュー・スコットの二人が印象的(笑)
振り返ってみるとこれらが結構面白く、スティーブン・モファットの「コナン・ドイルは僕たちほどマニアじゃないからね」というジョークにはなるほどそうだと思わされるし、ハドソン夫人役のユーナ・スタッブスの「あなたの出番は少なすぎるとよく言われるけど、作品のためには丁度いい」という言葉には、作中(シャーロックの「精神の宮殿(mind palace)」内)の彼女やワトソン宅のメイドが「もっとセリフを」なんて言うのはおかしいじゃないか、シャーロックは(ジョンとは違う意味で)「女性」が分かっていないじゃないかと思わされる。私からすると原作のホームズはともかく、100年後の!このドラマのシャーロックも、見どころのある女、以外の女は認めていないようだ。


冒頭、「伝説的」なあの出会いがまたもやせかせかと繰り返される。持っていた鞭をぽんと投げたシャーロックの、受け取ったジョンに対する「反射神経がいいからパートナーにぴったりだ」というセリフ(こんな場面は原作に無い)は、観客に向かってこの作品はこんなふうに受け止めてくれと言わんばかりだ。
その後にジョンとメアリーの言い合いを背にバイオリンを弾くシャーロックの(予告にも使われている)「舞台は整った、幕は上がった、そろそろいいだろう(ready to begin)」というセリフは、物語の「ネタばらし」をしているのと同時に、彼が「二人の物語」にはこの「出会い+α」のエピソードが不可欠だと考えていることも明かしている。仕方なく、だからあんなにもせかせかと語られるのだ(笑)


ビクトリアンになった「シャーロック」(こういうのは「本末転倒」と言うのだろうか?笑)に対する興奮はオープニングタイトルで最高潮に。221Bの窓を外から映す画のところに流れる音楽は、グラナダ版(で同じ窓を内から映す画のところ)のテーマ曲の部分に少々似ているように思われた。でもって「Alternatively」で奇妙な冒険が始まる。
理系と文系という分け方は大雑把だけど、理系の冒険が映画「オデッセイ」なら文系の冒険がこの作品。宇宙には全然行きたくない私でもあの旅には出たい(笑)ちなみに「オデッセイ」を見た時、事前に予告が流れたこともあり、これがシャーロックならどうするか、いやでも「天文学の知識はゼロ」だからダメか、などと思ってたので、本作に「自分よりcleverな人」に会うために天文学を勉強する下りがあるのが可笑しかった。


シャーロキアンの中に「事件の発生順」を研究している人も多いということを思うと(それが「お遊び」であっても)このシャーロックが「僕は時を超越している」と言うのはちょっと面白い。いや、このドラマの作り手は「シャーロック・ホームズは時を超越している」と主張するシャーロキアンである、というのがより「正しい」かな(笑)
作中の(再び書くけどシャーロックの「精神の宮殿(mind palace)」内の)ジョンが聞く耳持たずに(笑)付ける「忌まわしき花嫁(原題「The Abominable Bride」)」というタイトルは、原作に登場する「語られざる事件」の一つに由来するそうだけど、この映画のクライマックスはその事件を解決する場面でも何でもなく、「ライヘンバッハの滝」でシャーロックが「そうだ僕にはジョンがいる、彼がいれば落下じゃなく、着地出来るんだ」と気付き、飛翔する場面である。その直前に取ってつけたように「Elementary, my dear Watson」とまで口にするんだから。あの場面の撮影、さぞかし盛り上がったろうなあ。