ユーロでカウリスマキ特集


以前書いた「街のあかり」公開に伴い、ユーロスペース「カウリスマキのあかり」として全作品が上映されます。劇場で観る機会は逃したくない。どれに行こうかな。


ところで「ロッキー・ザ・ファイナル」の感想の冒頭「カウリスマキファンの私もロッキーを…」と書いたのは、「アメリカ映画」嫌いの彼が、「ロッキー6」という数分ものを撮っているから(参考リンク)。ヘルシンキで、ロシア人とアメリカ人のボクサーが戦う話。


「街のあかり」より。アキ映画にちょくちょく出てくるフィンランドのバンド・メルローズの曲が流れる。



オマケで「コントラクト・キラー」から、ジョー・ストラマーが「Burning Lights」を歌うシーン。冒頭のサングラス売りはアキ自身の出演。男はもちろん、ジャン・ピエール・レオー。


時をかける少女


一月ほど前に大林宣彦版を観返したこともあり、レンタル新作で並んでたアニメ版を借りてきました。



まずは大林宣彦版の話。80年代の邦画などを観てまず思うのは、昔の男の子は無愛想だということだ。今の私の感覚からすると、皆冷淡なので驚かされる。しかしそれが却ってロマンチックでもあって、今みたいに、男女がむやみに理解あるフリして擦り寄ってない、その距離感にドキドキさせられる。
「わからないわ…この気持ちは何?これが愛なの?」(最後に原田知世が口にするセリフ)
夜は毎日ウチに帰ってゴハン食べてた頃の、恋。ほんとの恋っていうのは、そういうもんだと思う。今の私にあるのは、様々な「人間関係」だ。どっちがいいとかじゃなく、今はもう、そうしかならない。


理科室の原田知世が起き上がって歌い始めるエンディングに触れると、例えば80年代の音楽、ひいては文化に自分が安らぎを覚えるのは、それ自体が持つ何かによるものなのか、色々なものに守られて安らいでた当時の記憶によるものなのか、たぶんどちらの要素もあるんだろうけど、そういうことを考えてしまい、結局甘い気持ちにさせられる。


アニメ版については、劇場公開時、テアトル新宿の前を通るたびにポスター目にして、何で空飛んでるんだろう?と思ってたものだけど、初めて意味が分かった。ほんとに駆けてるんだ。
私はアニメ独特の躍動感が苦手なこともあり、主人公が駆けながらやたら人にぶつかるのが気になってしょうがなかった。だって迷惑じゃん…?自転車で坂を下ってくシーンも、実写よりなぜか不穏な感じを受ける。
でも色使いなどキレイで、理科室のシーンでは、室内の、陽が当たってるとこと当たってないとことの温度差が伝わってくるようだった。


ある日どこかで」において、クリストファー・リーブは「時をかける」ため、ひたすら「頑張る」。初めて観た時、このシーンに凄く違和感を感じたものだけど、今では、そういうものなのかもしれないと思う。
逆にがんばりようもないのは「恋はデジャ・ヴ」のビル・マーレイで、かけてしまうのを食い止めるのは難しいものだ。

主人公は僕だった


休日の夕方、みゆき座にて。10分ほど前に着いたら、もう数席しか空いていなかった。びっくり。



国税局に勤めるハロルド(ウィル・フェレル)は、決まりきった生活を送る平凡な男。しかしある日、自分について語る「声」が耳に飛び込んでくる。それは、彼を主人公に小説を書くカレン(エマ・トンプソン)のものだった。


出てくる建築物の内や外、ディティールが面白く、興味ぶかく観ました。エンドクレジットで、建物があらためて見られたのも良かった。それにウィルが同僚に振舞われる日本料理は間違いなく、今年観た映画における「不味そうなもの」ベストワンだ(しかしどちらも手を付けてなかったのは残念…)。
同行者はウィル・フェレルが苦手なんだけど(「ズーランダー」的な、つまり彼の彼たるところがダメらしい)、この映画の彼はとても良いと言っていた。ちなみに他に誰なら役に合ってるかというと、スティーヴン・トンプキンソン(「ブラス!」のトロンボーン奏者/二人とも名前は知らず)だそう。


私の一番好きなシーンは、スランプ中の「作家」エマ・トンプソンのところに、「作家アシスタント(編集者?)」クイーン・ラティファがやってくる場面。プロの二人は互いに堂々としており、見ていてすがすがしかった。「タバコの吸殻を買ってきた」というセリフも可笑しい。
あんなアシスタントがほんとに居るのか知らないけど、自分に向いてるかも…と思った(創造的な仕事は苦手だけど、めんどうな誰かのめんどうを見るのは嫌いじゃない・笑)。
エマ・トンプソンはほとんどよれよれのパジャマ姿だけど、その姿はとても美しく…というか心地よく、最後に普通の洋服を着たときなど、あまりに美人なので驚かされた。全篇通して耳にした彼女のナレーションはすごく聴きやすかったし、陳腐な言い方だけど、ちゃんと筋の通ってる人間の美しさだ。


ウィルが惚れちゃうマギー・ギレンホールについては、ああいうパン屋のあり方があるのか、と気付かされた。日本じゃ難しいだろうけど、定食屋や立ち飲み屋みたいなカンジで、若者から年寄りまで皆がふらっと立ち寄る。パン屋って、スローフードに一家言あるような人がやるもんという勝手なイメージを持ってたけど、彼女は怒ると生地を投げつけたりして、やたらとパン、大事にしてない。私にもできそうだ〜と思ってしまった。


ウィルがバスの中で「自分が主人公の小説」に熱中するシーン。日本なら(都バスなら?)終点に着けば下ろされちゃうのに、おそらく何往復もして、読み終える。バス好きの私にとってはそれも羨ましいし、自分の人生における「ギターを弾くシーン」はなんだろう、と思わせられた。たとえ早くに死んでも、人生にああいうシーンがあり、しかもそれを小説で読めちゃうだなんて、幸せなことだ。