週末の記録



金曜の夕方は、待ち合わせてコメダ珈琲店でお茶。キャラメルリンゴのシロノワールに、ハロウィンのクッキーが付いてきた。
入店時にレジで見つけたコメダ仕様のしるこサンドミニ、一つ50円も購入。大きさからして四連の商品を分けたものかな?ともあれこれは買っちゃうよね(笑)


土曜日は、竹芝客船ターミナルに乗船予約に出向いたついでに、アンテナショップ「東京愛らんど」のレストランでお昼。青ヶ島フェア開催中とのことで、島だれの効いたローストビーフ丼に、トビウオのすり身揚げ、明日葉の掛かったポテトなどを注文、トビウオが気に入った。
その後、表参道で買い物…のつもりが目当てのものが見つからなかった後に、コロンバン原宿本店にて休憩。「原宿焼きショコラとアイスクリームのクレープ包み」は思いがけず固い、けど美味しい。


日曜日は、外でお昼を食べたくなりお弁当を作ってもらう。冷凍しておいた鯛の塩焼きのほぐしたのを混ぜ込んだおにぎり、卵焼き、春菊のごま和え入りちくわ、パプリカとりんごとレーズン入りのポテトサラダなど。どれも美味しかった。
それから「てくてくきっぷ旅」に参加。東京駅〜八重洲〜京橋〜日本橋を巡り、9箇所で硬券のレプリカを集めるというもの。程良い距離で、切符の方も、ゴールとした八重洲地下街でもらった台紙に挟むとなかなか立派。

アルジェの戦い/男と女


▼「アルジェの戦い」(1966)デジタル・リマスター/オリジナル言語版を、K's cinemaにて観賞。平日の午後ながらかなりの入り。アルジェリア人の叫びと音楽に、買っていったコーヒーが容器ごと震えて、ほとんど飲めなかった。


FLNの下っ端というか「子ども」の役をこなす男の子の誇らしげな顔が目に焼き付いてしまった。あの朝の笑顔は、「この映画」において重要な役を担っていることの喜びもあるのかな、なんて思ったものだけど。それから、アルジェリア人というだけで暴徒に襲われる男性や少年を警官が守る場面が印象的で、そんな時、「ちゃんと」守ってるな、なんて思ってしまい愕然とする。当たり前のことなのに。


久々にスクリーンで見たモノクロの「戦争映画」だったもんだから、書籍「戦争は女の顔をしていない」に「戦争映画に色が付いているなんてありえない」と語っている人がいたのをふと思い出した。そういう意味じゃなさそうだけども、映画の方から近付けてきてるっていうか。群衆の様子には、(「ヘリコプター」も出てくるし)昨年初めて劇場で見た、10年後の作品である「刑事マルティン・ベック」も思い出した。



▼「男と女」(1966)製作50周年記念デジタル・リマスター版を、恵比寿ガーデンシネマにて観賞。初日の土曜日に出向いたところ、ほぼ満席だった。同劇場で昨年見た「愛と哀しみのボレロ」(1981)の素晴らしさには敵わないと思うけど、こちらも面白かった。20年以上ぶりだから、ほぼ初見といっていい(笑)


先立って、短編「ランデヴー」(1976)デジタル・リマスター版が上映されたのが嬉しかった。これは「男と女」の裏側、換言すれば同じものを描いているように思われるから(「同じもの」だから「裏側」が描ける)。とはいえ「ランデヴー」だけを見ると、走らずにはいられない者にとって、世界には避けなければならないものが多々あり、その時に体と心が悲鳴をあげる、という物語にも受け取れる。演者は車、「登場人物」が姿を見せるラストシーンがまるでカーテンコールのようだ。



「だから、芸術より人生なんだ」
「なぜそんな話をしたの?」
「男と犬を見て、思い出したのさ」


アンヌ(アヌーク・エーメ)もジャン・ルイジャン=ルイ・トランティニャン)も、つまらない人間にしか思えなかった。「今」だからそう感じるのかなと思いながら(そもそも「今」の映画の登場人物は気が利いていすぎじゃないかとも思いながら・笑)見ているうち、あることに気付いて胸がいっぱいになった。これは、私には、初対面時にジャン・ルイに「平凡な人生だな」と言われたアンヌが返す「愛は人を特別な存在にする」という言葉の意味が、順を追って、次第に、立ち上がってくる映画なのだ。


まず(といっても終盤)食事の席で電報を受け取った喜びに廊下を駆け抜けるジャン・ルイの後ろ姿に涙が溢れるが、更に、そういうことでさえないと分かる。「愛は人を特別な存在にする」という時の「愛」とは、そのような、どこかに向かい、受け入れられる類のものにも限らないと。自分の中に誰かを生かしているのも、新たに誰かを住まわせるのも、あるいはもっと…可能性は無限なのだと。


これは、そんな「男と女」が在る風景、を捉えた映画でもある。アンヌとジャン・ルイが子ども達を連れて舟に乗る時、大きなスクリーンの前に居るのに、一瞬、二人の姿が風景の中に溶け込んで、遠のいて、見えなくなった。その後に次々と挿入される辺りの風景も、そもそもオープニングも、あるいは出会ったばかりの二人の車内でのそれぞれの顔のどアップも、誰の視点というわけじゃない、カメラがふと世界のあちこちに現れて撮ったという感じなのだ。諸事情によるにせよ、この「感じ」は、やはり面白すぎると言うほかない。


赤ずきん」が怖いからと「青ひげ」をせがむ娘、「悲しい歌」に笑ってしまうアンヌとジャン・ルイ、「黒人の魂をこめた歌」での夫婦の戯れ、アンヌの夫の爆死、ジャン・ルイの妻の自殺、男女がスポーツカーの事故で亡くなったというニュースの後に「お馴染みの曲で忘れましょう」と語り掛けてくるDJ、「風景」にはそういう、喜怒哀楽の綴れ織りといったような意味合いもある。「ベッドシーン」の後に流れるデュエットの転調までもが、その「変奏」に思われた。尤もルルーシュの映画を思う時、私の頭には「呑気」という言葉もよぎるけど(笑)


ともあれ、「男と女」って、美男美女が素敵なお洋服を着て素敵な事をするのを素敵に撮ってまとめた映画、みたいな言われ方をしていたものだけど、でもってルルーシュにとっても「そういう映画」だったに違いないけれど、今見ると、誰かに心動かされる時、誰もがああいうふうになれる、という映画に私には思われた。誰の人生のひと時にだって、あの曲が流れていいと思う。