平日の記録



外で食べたパンケーキ。
お気に入りのお店、小田急百貨店内のカフェ・ナチュレにてプレミアムセット。パンケーキには季節のジャム、今の時季ははちみつレモン。デザートにカスタードプリン。パンケーキもプリンも美味。
初めて入った銀座文明堂本店併設のカフェでは、「三笠」パンケーキ。三笠山の生地のパンケーキだなんて、子どもの頃、どら焼きのあんこの部分だけ父親に食べてもらってた私にはぴったり(笑・といってもこのメニュー、あんこも付いてるんだけども)マシュマロと見まごう形のバターにメープルシロップ、きんきんに冷えたバニラアイスクリーム添え。少し飽きてしまった、二枚でよかったかな。

人生は小説よりも奇なり



オープニングはベッドの上の二つの足の裏、よく見ると「二人」だと分かる。身支度をしてアパートを出るベン(ジョン・リスゴー)とジョージ(アルフレッド・モリーナ)。壁に掛けられた数々の絵、キッチンでは花が活けられ、そのうちラザニアの匂いも漂うんだろう。結婚式での「皆さん『日常を忘れて』二人の愛を祝いましょう」との言葉に少々の不安を覚えるが、これはそういうところに留まる話ではなかった。


(以下「ネタバレ」あり)


映画の終わり、少し「成長」したジョーイ(チャーリー・ターハン)は「この絵の、塗られなかった部分の色を想像するのも楽しい」と言うが、この映画にはまさにそういう良さがある。ベンとジョージの、冒頭の朝にはしていなかった指輪の交換、「豪華なハネムーン」や「失業してからの大変だったあれこれ」が省略されるのは当然!だとしても、二人の言動の端々から見える過去(「フランク」はどんな男だったか?)、ジョーイの部屋に二段ベッドがある理由や「(友達について)あの頃はよく来てたから」なんてセリフに窺える「その後」、一度だけ映る、ベンの姪の作中唯一の犬やタバコに彩られた「郊外」の「日常」、それらは全て、厳然たるものとして「在」りながら、その内容はどう想像したって構わないという余裕を備えている。
そんな映画だから、ベンが絵を描く屋上からの眺めがゆったりと映されるあの時間は、見ている私の何を仮託してもいいような、とても豊かで優しいものに感じられる。変なことを言うようだけど、あれこそ「大人」にしか撮れない映像だと思う。


ベンの遺した絵について、ジョージは「絵だけは守ろうとしたんだ」「絵は彼の全てだった」と言うが、絵が階段から落ちなかったのは彼が「守った」からではないと私は知っているし、果たして「絵が全て」だったのか疑問に思う(ただしジョージが本当にそう思っているか否かも「分からない」。自分、あるいはジョーイに向けて言っているだけかもしれない)
しかし重要なのは「慮る」こと。ベンはジョージに「僕の個展が実現しなかったら失望する?」と訊ねる。自分の絵の評判について、自分の気持ちよりも彼がそれをどう思うかが気になる。39年間一緒であっても「分からない」部分があり、それを埋めようとする、その営み。私が「映画の『語られなかった部分』を想像する」、いわば相手の知に甘える愉しみとは全く違うものであり、自分は日頃、それをしているだろうかと考えた。


全編を通じて、「子どもたち」への思いが伝わってくる。冒頭のパーティの場面はジョーイの顔で終わる。場面換わってジョージが勤務先の学校からクビを言い渡される勤めるくだりは、彼が指導する子ども達が合唱する姿に始まる。
ジョージが保護者に宛てた手紙の、一言一句が美しい文章も、「子どもたち」のために書かれたものである。彼は生徒である少女の弾くピアノを聴きながら、この世界と彼らのことを思って涙を滲ませる。「(同性愛者であると)知っていてのご支援に感謝します」「これを機にお子さんと正義について話し合って下さい」「彼らが自分の真の姿を隠してしまわないように」「嘘のない世界は素晴らしい」「人生は苦難の連続ですが、正直に向き合えれば少しは楽になります」。「不義を喜ばず、真実を喜ぶ」という引用から、クビを言い渡された際に「なくなることはない」と語った彼の信仰心も伝わってくる。


終盤の音楽会の席で、ジョージはベンの手をそっと握る。その後の店でセクシャルな会話になるのがいい。人の体にはセックスの歴史も染み込んでいる。二人は今や、同じことを肴に同じように笑う。その後にストリートを歩く速度がとてもゆっくりなのは、分かれたくないからか、ベンの心臓を気遣ってか(これは冒頭、慌てて家を出る二人の姿と対になっているように思われた)
ジョージは少女にピアノを指導する際「メトロノームをよく聞くんだ、リズムに忠実に、特にショパンは」と言うが、さすれば随所で流れるショパンの調べは、彼が大切にしたく思う二人のリズムを表しているのかな、などと考えた。私もあの曲、子どもの頃に弾いたものだけど、ピアノの先生はどうやって教えてくれていたものか、すっかり忘れてしまった。また誰かに何かを教えてもらいたいなと思った。大人になってからでもいいなら。