
イタリア映画祭にて観賞、2025年パオロ・ヴィルズィ監督作品。
雪が降りしきる中、荒れ果てた厩舎で一人その日を暮らすアドリアーノ(ヴァレリオ・マスタンドレア)。弁護士事務所の同僚ジュリアーナ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)は「人と関わればうつも治る」と言うが、彼は人と関わることに失敗したから閉じこもっているのである。若者達と知り合うや見抜かれる失敗の元…父権を振るうことを捨てていくしか生き返る道はない。
若者達は誰のものでもない打ち捨てられた土地を「みんなのもの」にしようとやってくる。そのような感覚に縁のないアドリアーノは敵視するが、勉強の上で葡萄畑の再生に励む様子に心動かされ、かつてそこに住んでいたマティルデ(ガラテア・ベルージ)が妊娠中と知るやあれこれ口を出し世話を焼くようになる。彼女は子の父親が家族になろうと言うのが我慢ならない、父親など要らないと言い周囲も同意だが、悪い父親でなければ居たっていいではないかというのがこの映画である。
子らと過ごす休日には嘘をつかせて母親が禁じる外遊びに連れて行き彼女を馬鹿で怖い女扱い、娘もそれに順応してしまう…といった典型的な悪い父親が改心するというこの映画の柱は、人々が交錯し影響し合うというヴィルズィらしい話の中で私には悪目立ちしすぎた。まだこんな「間に合わなかった」男を見なきゃなんないの?と思うし、「あなたを愛してたけど片思いだった」と打ち明ける妻の裁判での涙を始め彼に関心を寄せる女達の描写に見ていて恥ずかしくなってしまった。
アドリアーノは15歳の息子マッテオへの呼びかけを「宝物」から「相棒」に変える。彼が若者達を車に乗せてハンドルを握るのは所有物ではなく相棒のためなのである。彼の過去の仕事について知ったマティルデは「弱者の味方なのね」と言うが、同映画祭なら『キアラ』(2022年イタリア、ベルギー)に快哉を叫びたい程うまく描かれていた、一見リベラルな男性が女性や家族に対しては全然旧弊だという要素も面白かった。
ジュリアーナが「秘密」を明かした後に言う「最悪な時は過ぎた」。彼女は辛い事情を抱えているが、何らかの時が終わるとは、みんなでみんなの葡萄を育てていくという感覚とは相容れないものではないか。取り残された彼女の雨の中の告白に応えられないアドリアーノのキスには何が込められていたのだろうと考えた。