フェザーズ その家に巣食うもの


母親を亡くした一家の元に現れた、悲しみの権化であるカラス(エリック・ランパール、声はデヴィッド・シューリス)は「女王が死に、王は息子達を見捨て、国は荒廃した」という物語を父(ベネディクト・カンバーバッチ)に飲み込ませようとする。コミック作家(「グラフィックノベルと言われるとパパは怒る」)の彼が白い紙に向かって物語を描き始めると飛んできて、そんなんじゃないだろと黒く塗り潰させる。二人の息子は「ママが死んでからパパの物語は変わった」と言う、これは物語同士が拮抗する物語に私には思われた。カラスは消えず、カラスのささやく物語が父を悩ませる。

それならカラスが物語を押し付けてくるということ自体を描くのはどうだろう。母親がいなきゃ父親はダメだというのは悲しみとセットだとされている刷り込みなのであり、悲しみだけを受け入れ自分なりの物語を紡げばいい。終盤、絶望を食べにやって来た悪魔と格闘して刺されたカラスを介抱し「お前が必要なんだ」と言うとカラスは苦笑し、そこから父と息子とカラスの楽しいしばしの暮らしが始まる。子どもが受けている、絵を描いてそれについて話そうというカウンセリングを父は自分でやったのだと言える。

ここでは家は国に例えられる。オープニングの朝のキッチン、牛乳を切らしパンを焦がしパニックになった父は息子がつけたラジオ?から流れるキュアーのInbetween Daysを止める。歯ブラシはもちろん、母専用の豆乳や彼女がいつも洗っていた洗濯物が大量に残っている家は荒れ果てていく。それは怒りの跡だ。訪ねて来た妻の親友は、コーヒーでもとカップの中身を捨てる彼をそれじゃあダメだと公園に連れ出して息をさせる。息子達の「土曜日だよ、何するの?」への「今日は助けて欲しいんだ、家を片付けてくれ」は無理筋だが心の内を表せるようになる過程の一歩だろう。

映画はEnglish widowerがかつて妻に受け入れてもらった詩をもう一度彼女に捧げ、浜辺に散骨する…のを息子達に見せるのに終わる。映画の最後に遺灰をどうこうする主人公が男性ばかりなのは、男の方が何もかもに時間がかかる(とされている)からかもしれないと考えた。父は息子達がもっと幼い頃に彼女がインフルエンザに罹った時のことを「予行練習のようなものだった」と回想するが、それから何もしなかったのだ(ママがいいと言っていた息子達が、その死を伝える数年後にもママはどこ?と言っている)。長靴だけは買ったようだけど…エンドクレジットに流れるWho Knows Where the Time Goes?は優しい。