未亡人


1950年代韓国映画傑作選にて観賞。1955年製作、「韓国映画初の女性監督パク・ナムオクのデビュー作であり唯一の作品」。丁度去年の今ごろ舞台挨拶付の上映回で見た『ミマン』(2023年韓国)には本作の上映会の場面があり、タイトルもここから来ているとのこと(「辞書にあった『夫を失ったにも関わらず夫の後を追って死なずに生きている女性』との意味は(略)少し暴力的な解釈とも言えるのではないかと私自身思いまして、この『未亡人』という言葉に非常に興味を持ちました」脚本監督のキム・テヤンのインタビューより)。

「このような未亡人がいた」「どんなに辛くとも彼女はひまわりだった」との冒頭の文にどんな辛抱劇場が始まるのかと身構えていたら私がその文言から思い描く像とは違っており、これをひまわりとするのかと感じ入った。朝鮮戦争に翻弄されながらもそれなりにやりたいように生きる女性、あるいは人々の話であった。当時の「未亡人」たちはこの映画を見ることができたのだろうか。

お金がないからとしぶる娘をなだめて登校させる主人公シン(イ・ミンジャ)の「小学校へ通うのにこんなにお金がかかるとは」。戦争で死んだ夫の友人である社長に生計を頼っている彼女が小さな鏡(ポンズコールドクリームの存在感!)を見るのは時にお金(へのお礼)のため、時に新しい夫を迎えるため、そしてもしかしたら自分を確認するため。

金勘定や化粧に余念のない(後に海で会う男性に「ミス・リー」と呼ばれている)隣人女性スクとのつきあいがいい。社長の妻が乗り込んできた時にはシンがその男とどんな仲だか確認せずとも味方をしてくれる。服や日傘にも見て取れるように違いが多々あれどオンニと呼んで軽妙に助けてくれる。「お金ならいくらでも貸すよ」「ただじゃだめでしょ」「見返りなしってわけにはいかないわね」、「男はおかず、夫はごはん」「上手いこと言うね」なんてやりとりが楽しい。10分間音声が欠落しているため二人の最後の会話が分からなかったのが残念。

しかし何といってもよいのは、今の韓国映画やドラマでも見ないほど…あるいは逆に年を経てそういうふうに変化してきたのだろうか…母が子のために自らを犠牲にしない、それを当然のごとく描いているところ。溺れている娘を一目散に飛び込んで助けてくれた青年テクに惹かれたシンはきっと来てねと呼び出し交際を始めるが、彼に懐かない娘に困り最終的には隣人の「やもめ」ソンに預ける。彼が元より男が来ている時には預かろうかという気の遣い方をしてくれるのや、そもそも娘が全く懐かないのがよい(およそ都合よく懐いてしまうものだから)。社長の支援で開いた洋装店の儲けから結構な額をかつての隣人に手渡す展開には、お金とはあるところから降りてくるものだと思わざるを得なかった。