森に移住する前の都会での引越しパーティにて、女のミリー(アリソン・ブリー)は女の友人と、男のティム(デイブ・フランコ)は男の友人…といってもミリーの弟だが(彼女いわく「ミュージシャンと知らずに出会った」のだから。こういう些細な設定に力関係が表れている)…とやりとりしている。ミリーの公開プロポーズに当惑し応えられずベッドで謝るティム。双方の視点で描かれてはいるが、男である彼の方が主役のように感じられる。穴に落ちてまずデモ音源の入ったスマホを心配してしまうのや(まさに『厩火事』)、ミリーの同僚(デイモン・ヘリマン)との席で自身を「囚われのシェフ」と言ってしまう展開が生々しい。「頭と体がばらばら」の状態を信じてもらえないなど、従来なら女にあてがわれていたキャラクターを負っているのが面白い。
(以下「ネタバレ」しています)
いわゆるボディホラーでも『サブスタンス』や『アグリーシスター』などの「因」は女性が受ける抑圧だが(これらの方が後発なわけだが)、この映画はきちがい宗教なので誰彼構わず、それこそ人間じゃなくても襲い掛かる不運なので見やすい。そこに「別れられないカップル」の問題が加わってくるのが面白い。モリーの「一人だった時の自分を覚えていない」とは、「カップル」状態にあるならば胸に手を当てて考えてみるべき問題である。私は覚えている…と思うけれど自信がない。対してティムが自分で自分を殺す覚悟を決めて言うには「会う前の自分を覚えている」。お互い「個」に戻ろうというわけだ。しかし二人の「個」は回復しなかったのでああいう結果になったのだと私は解釈した。あるいは「個」は新たに生まれ得るものなんだろうか、そういう話を誰かに聞いてみたいと思った。
