
冒頭、セックスワーカーらしき主人公が後側位で挿入している最中に「仰向けになって」と相手を誘うのに、キスされたり抱きつかれたりするのになぜ、と思っていたら彼はそれを普通にこなす。外に出てから唾を吐く姿は全てが嫌だったようにも見えて何だかよく分からなくなってくる…というかこんなに主人公の心が読めない映画ってないと思いながら見ていたら、彼があまりに純粋で私には捉えられなかったのだと分かってくる。
マックス(ルーアリ・モルカ)はセックスワークを題材とした長編小説で世に出たいと思っているが、彼が考えるにセックスワークの小説は実体験に基づくものでなければならず、同時に体験したのが書き手だと知られてはならない。凄まじい矛盾だが彼の信念は強く、それゆえ私には当初話が読めなかったわけだ。これは彼が前者の信念のみを貫けるようになるまで…自分が当事者だと顔を出して明るく言えるようになるまでの物語だ。
マックスは客のニコラス(ジョナサン・ハイド…「ジョナサンという名前は好きだ」とのセリフあり)に惹かれるも彼との約束より小説のネタになることを優先し馴染みの客とブリュッセルに出掛ける。しかし意に沿わないセックスをする辛さに気付き目覚める。その後、財布も失った彼が初めてお金だけのために体を売ろうとする場面には、大きな権力差がある場合のセックスワークに発生する辛苦が表れており心が痛かった。
マックスがニコラスに全てを打ち明けると、出版社の上司、平たく言えば世間と異なり彼はセックスワーカーが相手を好きになる、いわばハッピーな物語を楽しんでくれる。これは真の味方に出会って初めて心が解放される物語であり、そういう意味では恋愛映画と言える(恋愛映画の多くは「めぐりあえる」話だから)。その後セバスチャン改めマックスとしてセックスワークを続けている描写があるのがよい。
作中最も印象的だったのは、マックスが著者近影の撮影時に服のタグを見る場面。自分の、じゃないわけだ。同僚のアムナ(ヒフトゥ・カセム)が「洞察力があって心がこもってる」と評する小説を彼自身は「メッセージがない」からだめだと言っていたけれど、映画の終わりならそのことにつき、自分のあの小説を彼はどう語るだろう。