
カンヌ監督週間 in tokioにて観賞、2025年ドイツ、クリスチャン・ペッツォルト監督作品。
保護者・被保護者の関係にある(ように見える年齢差のある)女同士による自転車の二人乗りが、『東ベルリンから来た女』(2012)では物語を終わらせるのがこちらでは決定的に始めさせる。前のベティ(バルバラ・アウア)が、えっケーニヒスベルグの肉団子が得意なの、うちの男達の好物なの、二人を呼ぶわ、と思わず停めた自転車の再出発を、後ろのラウラ(パウラ・ベーア)が軽快な数歩で手助けする。その後は体感では上映時間の8割程がベティとラウラ、ベティの夫リチャードと息子マックスの四人が「家」と「工場」の間を自転車や車で行き来するだけの奇妙な映画だが、繰り返されるそれは切られた布の間を行き交う糸のように二枚を縫い合わせ、もう離れることはない。そういう話だ。
ベティが門の前にずっと立っていた、あるいはラウラが泊まった翌朝にトム・ソーヤーよろしくペンキ塗りをしていたわけが次第に分かってくる。理由は不明の交通事故の翌日ラウラが目覚めると「あなたに合いそうな服」が置いてある時点で、後にマックスが彼女に向かって叫ぶ「ぼくの妹は自殺した、君はその代わりにされてる、両親は異常だ」の少なくとも最初の一つは予想がつく。ラウラが去った後に彼が家族を代表して大学まで様子を見に行き動画を撮って帰る、ピアノの発表会に三人で出向く(これらは「変装して」行われる!)のは異常に映るが、異様に見えたりうさんくさく見えたりする人々に対する視線、ひいては映画そのものの心根が明るく優しいのがペッツォルトというもので、今回もそうだった。そこが好きだ。映画の終わりのラウラの顔は、帰りたいと言っていた家に帰ることのできた表情に私には思われた。