
1968年のチェコスロバキア。学生と軍の衝突についての嘘の報道に光州民主化運動を思いながら見始めるが、国のニュースを信じるなと語ったラジオ局の国際報道部に当の学生から抗議の手紙がたくさん来るも実際に出向いて話を聞き筆跡を調べると(このカットが効いている)全て偽物だった、というくだりで光州はもちろん今の日本でも同じことが繰り返されていると思う、例えばSNSなどで。
ラジオ局の場面になるや「西側の禁断のヒット曲」が流れる…いやラジオに関わる人々が明確な意志でもって流しているのに痺れる。Be My Babyは『ダーティ・ダンシング』(1987年アメリカ…と書くのもおかしなくらい私の人生の映画だけども)しかりスローモーションを最高に活かす。Crimson And Cloverを爆音で流す自宅の集まりで部長のミラン・ヴァイナーと子どもの寝床から起きてきた妻の音量を下げようか?いいえ、との会話からはパートナーが彼の生き方を支援していることが分かる。
外国語に堪能な報道部のヴェラはアフリカ(字幕ママ)支局で働いていた頃の情熱を内に押し込めているが、主人公トマーシュとの交流を機にナイジェリアのものらしき暖簾を飾った自宅で当地の料理をふるまう年越しパーティを開くまでになる。東京行きが決まった彼女にトマーシュは「色んなものをたくさん食べて」と日本の箸を贈る。このように音楽を始め映画の前半では国の外に目を向けることが抵抗になっていたのが、ワルシャワ条約機構軍の侵攻につき虚偽の報道を強制され闘う終盤には国の内へこそ向かうようになる。闘いの後でトマーシュはヴェラに陶器のカトラリーを「忘れないで」と贈り直し、自らは国に残ると告げる。私達が日本の何かに愛着を持つ時、そこに何が伴っているだろうと思う。
同じ自由のために活動していながら互いにそれを隠してこざるを得なかったトマーシュと学生の弟パーヤ、そしてヴェラが他でもない、自分が変えねばならない「私の国」へと回帰し再び闘志を燃やし始めるのに映画は終わる。作中でラジオ局の策略と報道により不正を暴かれたノヴォトニーが辞職しドゥプチェクが第一書記に就いた際に流れた、チェコスロバキアのHanaとUlrychoviのデュオによるZa vodou, za horouを再び聞く。「水の向こう、山の向こう」との意味だという。私達は流れ(原題Vlnyは英語でWaveの意)となって、あるいはそれに続いて理想に向かおうという映画だろうか。