ガール・イン・ザ・スノウ


カンヌ監督週間 in Tokioにて観賞、2025年フランス、ルイーズ・エモン監督作品。

1899年、雪深い山奥の村に教師として派遣された若い女性エメ(ガラテア・ベルージ)。「フランス語」を教えるのに牛の鳴き声は…と始めても地元の言葉(パトワ)では表現が異なり思うようにいかないのが面白い。健康のための入浴は年長女性らの病気になるとの猛反対で妨げられるが、勉強の動機付けを手探りするうち、村からも多くの者が発ったアルジェリアやカリフォルニアを地図上で確認するのを切っ掛けに、子ども達が習ったことを家に持ち帰って広めるという学校のシステムが出来上がっていく(数か月で壊れるが!やっぱり先生が一人だとね…)。

エメが初日の晩にベッドでデカルトの『人間論』を読む…どう読んでいるかが分かる場面や、翌朝の光のもとで青年達の顔をどんな男だろうと順に確認する女目線のカットはこれまで見たことのないもので引き込まれた。住居兼学校の雑務を担うダニエルに甘味(?画面が暗くて何だか分からず)のお礼に履いたままの靴に滑り止めの鋲を打ち込んでもらう場面はあからさまなセックスの比喩、いや比喩じゃなく実際恍惚となるだろうとその表現の上手さに笑みがこぼれた。集まりで分からない言葉による物語を隣のエノクに語ってもらう場面も『エマニエル』(2024年オドレイ・ディワン監督)の最後のあらまほしきセックスを彷彿とさせぐっときた。

「中央」を広げるために地方に遣わされる、若い女が「男」に性欲を抱く、男達はその女を個人や集団で性的にからかうという複雑な権力図が繰り広げられるが、監督がドキュメンタリー作家という先入観を持って見ていたせいか悲劇あるいは喜劇めかす意図は感じず、ただただこちらが受け取るのみの映画のようだった。私にはシンプルに、性欲を自分の内でなく外のせいにしてきた男社会への、女からの意趣返しに思われた。村の慣習であの間ずっとじいさんの死体が頭上にあったことなど、笑って見てもいい。