
転校してきた人気俳優のソル(ハン・ソヒ)と俳優志望のスアン(ハン・ヘイン)の、学校を離れた二人の時間。海辺でカメラを回すも演技だと分からず心配して止めてしまう。「運転免許ないよ」「運転できればいい」、「それなら明洞」「今どき明洞なんて誰も行かないよ」からの無人の明洞。ポスターの前で自分を真似した後の暗い顔。クラスの男子の「あいつら(ソルと共演者の男性)絶対何度もやってるぞ」に抗議して返される「世界が違うんだから」。お馴染みの「有名人と一般人」ものでも女子高校生二人のそれはいいなと見ていたら…
「スアン」の章に変わると髪を長く伸ばしたスアンが撮られている。盛大なキスの演技を終えると、寒くても誰も温めてくれない。前の章のソルの、寒いから抱きしめて、の後のキスは…「こういうのは(「こういうの」とは?)よくない」「あっそう、ただのシーンだし」で終わってしまうが…この真逆だった。あの時のソルもこの時のスアンも欲しいものを得られないまま違う場所にいる。「12月の君へ(直訳「大雪」)」に章が変わると二人は再会するが同じ画面の中でもレイヤーが違うように見える。手と手がようやく繋がれるのは荒波の上、その後はどこだか分からない「死後の世界」に流れつく。解釈を開きすぎのこういうスタイルは私はあまり好きじゃない。更に言うならもっと明るい方がいい。
子どもの頃から役者稼業のソルは「みんな顔しか見てない」。姿を消した彼女を追うように役者になったスアンがマネージャーに次のドラマの内容を聞くも答えは「今度話すよ、準主役は間違いない」。日本に入ってくる韓国ドラマを見ている者としては作り手がこうした描写でもって何を言いたいのか気になるが、いまいち分からなかった。よく取れば、この設定自体が業界や社会がクィアに辛辣であることの比喩のようだと言える。作中の男が「じゃまをする」者か「じゃまをしない」者かのいずれかであるのは面白かった、女を好きな女にとってそれが肝心なはずだから。