ハルツーム


難民映画祭のオンライン上映にて観賞。原題Khartoum、2024年ドイツ・イギリス・スーダンカタール、Anas Saeed、Rawia Alhag、Ibrahim Snoopy、Timeea Mohamed Ahmed、Phil Cox 監督作品。

2022年、制作チームは30年の独裁政権を倒した後の「可能性に満ちていた」スーダンの首都ハルツームの市民5人の生活と夢を撮影し始めるが、国軍と準軍事組織RSFが軍事衝突し一千万人が避難、映画の関係者も全員が東アフリカへ逃れて制作を続けることとなる。今年の当映画祭の上映作品は例年に比してこのように変化をまたいだ時間を記録しているものが多い。映画祭がそのような作品を選んだのか今の世界にそれが満ちているのか。

家族や仲間との日常と様々な人が参加する(女性がとても多い)デモ、これらが5人の当初の「生活と夢」だ。音楽や服飾も楽しい。「失恋したけど完璧な記憶なんだ」とバスの中で女の子とイヤホンを分け合った時間を「ハルツームから記憶を一つ持ち出せるなら」と選ぶ者もいる。撮影されていない重大な記憶はグリーンバックの前で自分自身を演じることによって映像となり、やがて民兵が無差別に市民を殺していく危険に晒された、目の当たりにした記憶が本人や家族によって再現される。少年二人を含む5人は互いの記憶の中の民兵や殺された者を演じ合い、ハグして休憩を取って次の撮影に進む。

当人による再現といえば今年日本公開されて素晴らしかった『Four Daughters フォー・ドーターズ』(2023年フランス・チュニジア・ドイツ・サウジアラビア)も思い出されるが、本作はああした映画とはまた異なる意味を持つことが分かってくる。「語りたい」物語を演じることに意味があるのかもしれない、とは私には推測も言いもできないが、それぞれの記憶を協力しながら再現する積み重ねによりハルツームという都市じたいの巨大な記憶が形作られていくように、これはそのための映画に思われた。ハルツームとは彼らが口々に言う、都市と共にあり自由を求めてやまない市民のことである。何度も挿入される回り続けるロバはその象徴なんだろう。