ショパン、ショパン!


ポーランド映画祭にて観賞。2025年ポーランド・フランス・スペイン、ミハク・クフィェチンスキ監督作品。

「子どもの頃、走って咳をしただけで母は悲しそうな顔をした、ピアノを弾くようになってから走ってみたら咳は出なかった」。これは「強く健康な男性」ではないマイノリティの話であり、このフレデリック・ショパン(エリック・クルム)はピアノを弾くことでそれを覆い隠していたのだと言える。この映画で彼の全てを言い当てるジョルジュ・サンド(ジョセフィーヌ・ドゥ・ラ・ボーム)は終盤「あなたには病気と音楽しかない、今は子ども(カール・フィルチュのこと)も加わった、私はそれらに負けた」と嘆くが、オープニングから何度も流れる不安と焦燥のテーマにも表れているように元より「そう」だった彼は、病人として生きるようになって初めて自身と音楽とが両立し、生きている実感を得る。

映画は冒頭よりショパンを有名人にして労働者として描く。「独りが好き」な彼が演奏会とピアノ教師で食い扶持を稼ぐためには、初対面のサンドが言うように病人とは程遠い男のふりを続けねばならなかった。驚くべきことに世の人々は彼の音楽自体には関心がなく、コレラの流行で家から出られなくなるとピアノの音に文句が飛ぶ。この映画はコロナ禍によって表れた問題をコレラに重ねて描いており、日がな独りで過ごすことになったショパンが洗い物を取りに来た女性をお茶に誘うが婚約者がいるからと帰られてしまう場面など心に残る。一人住まいの者は窓を開けるのではなく閉めることが病の防止になるというのも面白い。「死にたくなければマスクをしろ」と吐き捨てる男は死体、いや「死体と同等とされるもの」の運搬人で、仕事の合間に向かいの女と性交し、ショパンと違ってまさに生きている。

これは史実の点々をうまく利用しその間を自由自在に埋めている、私の一番好きなスタイルの映画だ。私達に向かって締めの言葉を言ってくれるラストシーンの直前にショパンが口にするのは「心臓はワルシャワに」。序盤でランベール・ウィルソン演じるルイ・フィリップに最高の贈り物としてパスポートを与えられ「君は私のものだ」と大きな手を肩に置かれた際には「私の心はポーランドにあります」というようなことを返していたのが(この場面には昨年の難民映画祭で見た『ザ・ウォーク 少女アマル、8000キロの旅』で欧州評議会が難民の「象徴」にパスポートを授与するのを思い出した)、死期の迫った終盤には自分がいなくなってもカールをお願いしますと頼む(尤もこの頃にはラ・マルセイエーズが宮殿で歌われていたが)。子どもを持ち「普通」に近付くと人は権力に頼ることもある。こうした描写には、彼がサンドに言う「私の人生で君の人生ではない」が分かっていてもなお、という複雑さが表れていると思った。