
フィンランド映画祭にて観賞。2025年フィンランド、ラウリ=マッティ・パルッペイ脚本監督作品。
監督からのメッセージは「(この映像を見ている)お客さんは場内に一人かもしれないけど、そこのあなた、帰ったらバンドを結成してね」で終わるが確かにバンド映画だった。「この映画は自分の記憶と経験に基づいている(略)大切なのは仲間との音楽活動が居場所と声を与えてくれたということ」とも話していたが、いわゆる普通のバンドものとは趣を異にしていることで却ってバンドものってこういうことを描いているんだと分からせてくれる類の映画である。主人公パウリ(サムエル・クヤラ)が得る声とは一つには具体的な言葉、もう一つには私達が物を通じて出す音。彼の行動に怒ったエイヤ(マリア・ランタシラ)とリリス(アンナ・ロサリーナ・カウノ)が車を蹴る場面などその音が会話になっておりぐっとくる。曲の数々はスムースで耳馴染みがよい。
「私はバンドは作らない、一人の方が好きにやれる」と言うアンニが自分と同じく捨てたはずの地元に帰省中のパウリを誘って関係を持ち、後には呼び出して一緒に両親の遺灰を撒きに行く…踏ん切りをつけることから、人は基本的に同じものを求めておりバンド活動として表出するか否かが違うだけなのだ(ここにはそういうことが描かれているのだ)と分かる。一方で「呼ばれていないパーティに行くけど一人は嫌」「誰も聞いたことのない音楽を皆で作りたい」リリスは仲間と冒険がしたいのだと思う。
監督がどんな音楽家なのか分からないけれど、フルート奏者が主人公の映画というのは珍しいからまずそれが面白かった。冒頭のあまり無い撮り方で蛸のようにも銃のようにも見え、更には破壊されるフルートなんて映像じゃ初めてだ。パウリが属している作中のクラシック音楽の世界にはコミュニティと言えるようなものはなく、「地元」「趣味」「即興」は格下のものとされている。彼らの前でパウリが自分のしたことを話す「才能ある仲間と一緒に曲とレコードを作った」に、バンド活動というものが簡潔に表れていると思った。文にすればそれだけ、でもそれって何て素晴らしいことだろう。階段を上り明るい外へ出たパウリは、気を遣って彼の名を伏せたリリスに会いに行くのだった。