バーバリアン狂騒曲


難民映画祭のオンライン上映にて観賞。原題Les Barbares、2024年フランス、ジュリー・デルピー監督作品。ブルターニュにやって来たシリア人一家の食卓を上から撮った画が鮮やかで心に残る(『スペース・スウィーパーズ』(2021年韓国)で数十年後の宇宙飛行士達が船内で今と同じものを食べている場面を思い出した)。「バーバリアン」に直面するはめになる一家のやりとりや心情も描かれるのが意外だったけれど、それにより難民受け入れの問題がはっきり浮かび上がっている。一家の子ワエルが学校での「差別とは何か」に答えられないのは、それが差別する側の問題だからということを表している。

フランスというよりブルターニュという土地にこだわる住民の多いパンポンは、村議会での雑な「全会一致」を経てウクライナからの避難民を迎えることにするが、「ウクライナ人は人気で取り合い」というのでシリア人のファイヤド一家がやって来る。大勢で来るんだろ、一夫多妻なんだろ、ベールを被ってるんだろ…といった人々の予想は外れ、私達が日頃SNSやニュースで見ている排外主義的な問題という問題がおよそ発生する。落書きに始まり税金を使うことへの不満の噴出、村長への止まない脅迫電話、「ウクライナ人なら必要ない」難民であることの証明の要求、発言内容の歪曲、それによる小学校の教室内での子どもの変化。それらは「話に上手く組み込まれている」のではなく実際すべて起きているんだと思う。

「赤ん坊に罪はない」とはベタだけどここでは説得力がある。生まれてからの経験、しがらみで人は差別と偏見にまみれてしまうということが描かれている。デルピー演じる教師のジョエルが受け入れ事業の事務担当として支援に注力できるのは、信念の通せる場で好きな仕事をしている独り身だからだと言える。彼女の結末は、そういう人はああするのも大いにありということだと思う。ちなみにジョエルが親友のアンヌ(サンドリーヌ・キベルラン)に「私が女の子とキスしてたことをあなたが言いふらしたからずっとレズビアン扱いされてる」などと言う(そしてレズビアンではない)のは、彼女の野蛮な部分、差別心はそういうところに在ると受け取っていいのだろうか。

ローラン・ラフィット演じる水道業者のエルヴェは一家の中でも父親モーワンに最も敵意を抱く。「父親とうんこにまみれて働いてきた」彼は仕事をしない「一家の長」が許せないのだろう。妻ジェラルディン(インディア・エール)と毎日セックスしなければならないとの思い込みもあり、できない晩には一家のせいにする始末。村には老人ばかりで失業者が多く女の子がいない(この理由は何なのか分からなかった)という行政の問題も根にあり、ジョエルが行う交付金の申請が全くもって進まないのも実際にあったことなんじゃないかと思わせる。全体としてコメディ調の中、この顛末など面白かった。