あの時、愛を伝えられなかった僕の、3つの“もしも”の世界。


フィリップ・プティに憧れ「へり」を歩いていて落ちた初恋の人の笑顔にかぶる、「彼のことをどう紹介しよう」…そうだよね、好きな人なら迷うよねと思うオープニング。主人公ドンジュン(ホン・サビン、長じてシム・ヒソプ)の「夢は別の宇宙の自分になること」にカンヒャン(シン・ジュヒョブ)は「全ての『もし』は痛みだ」と返す。クィアの「もし」は全て痛みであり、それによってパラレルワールドが生み出されるというのがこの映画のしっかりした土台である。

映画はアメリカに渡ったカンヒャンが書いたそのタイトルの本にドンジュンが出会うまでの物語を大邱、ソウル、釜山と繰り返す。本の内容につき「パラレルワールドの話でハッピーエンド」とはどういうことかと思っていたら、釜山編はカンヒャンのSo long, see you tomorrow(直訳の韓国語が原題…このばあい日本語には訳しづらかったのかな)にドンジュンのナレーション「物語の終わりは全て同じ、全ての宇宙に彼がいるから、彼が僕の宇宙だから」と終わる。痛みある世界を生きるためのこの限りない感傷が私にはいかにも韓国らしく思われた。

ドンジュンの母(キム・ジュリョン)が病床で「あなたが将来どんな仕事に就くかを知りたいとは思わない、どんな人間でいるかが大切だ」と言う通り、パラレルワールドにおけるドンジュンの職業などの違いは問題ではない。いずれの世界でも同じなのは彼がゲイであること、カンヒャンがいつも心に居ること、そして父親は金と口を出すのみで、母、あるいはほぼ同じ年で癌に罹る姉は「全て分かってる、いつもあなたの味方」と伝えてくれること。苛めや抑圧の直接的な描写はない。辛いことは辛すぎるから示唆されるのみで救いの方が描かれる。姉が胃癌で手術するのには、『テレビの中に入りたい』の二人には時間があっという間だったのを思い出した。本当の自分として生きられないうちに自分も周囲も歳をとってしまうということ。