ハッピー・バースデイ


東京国際映画祭にて観賞。2025年エジプト、サラ・ゴーヘル脚本監督作品。

「私はタダでも働く」、母や姉達のように魚をとるよりずっといいしネリーと友達だから…と思っていた誕生日を持たない少女トーハが、雇い主の家の娘ネリーの誕生日を通じて自分は「働かされている」と知る物語。ラストのバスの場面で、映画の大部分を占める「明るい」描写はそのことに気づく前の彼女の視点だったと分かる。実家でも勤め先の家でも黙っているよう言われつつ小気味よく喋っていたのが、もう口を開かなくなるだろうとも。

あの日、大人達が起きるまで歳の近い二人は対等だったが、寝たふりをしているソファから起こされるやトーハの方は髪を覆ってかいがいしく働き始める。インスリン注射器を扱いボンベの調子を見、独りでに動いているかに見えるほど大きな絵や段ボールを運ぶ。朝のやりとりでトーハの世界には「願いごと」…願いが叶うなんてことはないと分かる(いわく「お祈りと同じ?」)。ネリーにとって願いごととはテントにドールハウス、今年ならiPhoneといった「物」だが、その概念を知ったトーハは「ずっとこの家にいたい」と願いごとのためのろうそくを欲しがる。

ネリーを学校に送ったトーハは、出て行ったらしき夫と会う口実に娘の誕生日パーティを催すことにしたネリーの母ライラ(ネリー・カリム)と近所のショッピングモールに出かける。ライラはトーハに字を教えると約束したりメイドには試着させないとにべもない店員に「この対応をSNSにあげたらどうなるか」と詰め寄ったりするが、「児童労働について書いたらどうなるか」と返されるとあっさり引き下がる。人は安全圏から出ようとはしない。

子どもを雇っていることがばれてはまずいと帰された実家で母や姉、妹までもがポリタンクを手に魚をとる仕事に従事している(それは大の男であったはずの父もロープなしでは命を落とすくらいの危険な労働である)と分かると、モールのプールの仕掛けや整備工場のホースで水遊びしていたトーハの姿が蘇る。夜のバスで隣の姉は疲れて寝てしまい、姉妹や家族、仲の良い同士でも願いごともお祝いもできないであろう未来が窺える。エンドクレジットの母と娘達の写真とメッセージに、監督に意味を聞きたいとめったにないことに思った。