
目にした宣伝文の幾つかにあった「彼女はなぜ沈黙しているのか」が私には暴力的に思われ、映画自体は無関係と思いつつ腰が引けていたんだけど、見てみたらその自然さがとてもよかった。なぜ沈黙しているのかなんて言われてしまうようになった今こそこのような、沈黙しないのが「普通」なわけがないという映画が必要だと思う。
自死したアリーヌは「テニスは一人でやれるから好き」と話していたが、同じコーチにつき同じく有望視されているジュリー(テッサ・バン・デン・ブルック)もそのように見える(テニスを選ぶ者は皆そうというわけでもないことが、仲間の「私はさくらんぼが好き」から読み取れる)。皆に認められ好かれているが一人でいることを選び、バスの中では隣の友達ではなく窓にあてがった鞄にもたれて眠る彼女の心が次第に開かれほぐれていく過程がこの映画では描かれる。テニス選手として、学生として日々をこなす彼女のふんばりと、その場のいつもの人々との交流によって進められる。それに伴い自身が受けた被害を認識するようになる。
ジュリーと指導停止措置になったコーチのジェレミーとの関係は、向かい合った場面での「やめろと言われてやめたぞ」ではっきり示されている(こんなセーフワードのような言葉がこの関係に必要な、あるいはふさわしいわけがない)。当初ベッドに横になり胸の上にスマホを置いてスピーカーでやりとりしている姿からは彼女がグルーミングの被害者であることが窺えるが(あれは相手への愛着の表れでしょう?)、最後には「やめろと言われて…」をいわば客観的に聞き返すことができるようになる。
ドイツ語の先生(ソフィー・デクレール)が『魔王』の最中に荷物をまとめ「理学療法士の所へ行く」と言うジュリーに「それをドイツ語で言える?」と返すのはいかにも「あるある」だが、私がするならそれは、特別扱いされたくないという彼女の気持ちを汲んで代償を払わせるためだ(授業を抜けることに「代償」が要るというのは「日本人」的なのかもしれないが)。またあんなに時間を割くわけがないロールプレイ、いや単なるプレイかな、において「運動するのは空を飛ぶような気分だ」とジュリーが言う、いや演技するのにも、外国語の勉強の目的は言いたいことを言えるようになるだけでなく別の自分を発見するところにもあると改めて思った。先生は彼女のためにあのセリフを振ったのだろう。