
物語の始め、オーウェン(長じてジャスティン・スミス)はテレビ番組『ピンク・オペーク』をCMでしか知らない。子どもは往々にして断片のみを掴まざるを得ないはめになるが、ここではその理由は「10時に寝ると決められているから」、親の支配下にあるからとされている。しかし母や父が運転する車の後部座席で横になる姿からは、親元も彼にとっては安住できる、というより人生を何とかやり過ごすことの出来る場所であるように見える。しかしずっとはいられない。「絶交した」(なぜだろう?)友人の母親(『ピンク・オペーク』のネタ元である『バフィー 恋する十字架』のタラ役、アンバー・ベンソン)が、「外出禁止になりたい(=「外」に出たくない)」からと訪れた彼を抱きしめ迎え入れる場面は温かく胸がいっぱいになるが、否応なく押し出されるのは後年の、例えば鍵を開けると男女が交わっている事務所や自分もそれを強いられる男だけの休憩所のような世界だ。
オーウェンが『ピンク・オペーク』の本を読んでいるマディ(ジャック・ヘブン)に声をかけることで全てが本当に始まる。彼女の「選挙の日の学校は好き」とは通常と違う世界について語っているのであり、ここで惹き込まれた。二人がソファでテレビを見る部屋の水槽の光、オーウェンがハンバーガーを買いに行くドライブスルーの店員の声、マディがプラネタリムで語る途中で星座に付与される絵など、意図せず作られた、あるんじゃないかとふと思わせる別の世界の片鱗がこの映画には満ちている、というか、私自身がそういう中を生きていることをこの映画が思い出させる。しかしそれらは全て幻であり、二人で見た、あるいはテープで送られてきたのを見た『ピンク・オペーク』以外は二人のものではなく、マディはそれを求めて出て行くがオーウェンには出来ない。
マディがしきりに口にする「年月が経つのが早い」とは、本当の自分になりきれていない時間だからそう感じるのだと思う。最終章のオーウェンは年齢に関係なく大変にくたびれて見える。彼がソファに以前とは違うふうに横たわって『ピンク・オペーク』を配信で見る場面、職場の誕生日パーティで叫び出す場面、それは自身を今こそ確かめなければという叫びであり、胸を切り開いて中身が自分達の『ピンク・オペーク』であると確認した彼が世の人々に向けてすみません、すみませんと謝り続ける場面で物語は終わるが、この間ずっと泣いてしまった、私には分からないのに。大昔に謝っちゃいけないとオーウェンに言ったマディと彼とはスタート地点が違っていた。なぜオーウェンの方が主人公なのかと見ていたんだけど、遅れて出発する側の物語なんだと最後に分かった。どちらも辛いが映画の眼差しは温かい。