ジャニス・イアン 沈黙を破る


Peter Barakan's Music Film Festival 2025にて観賞、2024年アメリカ、ヴァルダ・バー=カー監督作品。

「テレビ」の中のレナード・バーンスタインに始まり、少し遡ってジャニス・イアンが13歳で書いたSociety's Childが世に出るまで(バーンスタインがホストを務める番組で紹介され歌うまで)が時間を掛けて語られる。現在の歌にインタビュー、過去の写真や映像に再現映像、関連映像、時にイメージ映像が矢継ぎ早にがちゃがちゃ出てくる近年のスタイルのドキュメンタリーだけど、バーンスタインも称賛したオルガンを弾いたアーティー・バトラーを見つめるジャニスを捉えた一枚などとてもよかった。「80年代までのポートレートは全て彼の」と言う、親友にして恋人だったピーター・カニンガムによる写真の数々も。

「Starsが一番多くカバーされている、演者のことを歌った歌だから」とは同映画祭で見た『メイヴィス・ステイプルズ ゴスペル・ソウルの女王』(2015年、感想)にもエピソードの出てきたザ・ステイプル・シンガーズの『風に吹かれて』に通じるわけだけど、歌を歌いたいと思ったことのない私は「自分のことを歌っている歌を歌いたい」という気持ちにつき考えたことがなかった。他の歌手がカバーしている映像の多さがソングライターとしての彼女の才能を表している。60年代とはそれまで声を持たなかった人々による物語が広がっていった時代だと分かる。At Seventeenについてのコメントを男性表象の人や「チアリーダーの側だった」人も寄せている点や、「あなたたちは曲を残すけど私は何も残せない」と泣いた友人のために「あなたの曲」を書き彼女が救われるというエピソードには音楽の力を感じる。

Breaking Silenceをタイトルにしているのだからクィア映画の要素もある(エンドクレジットにも写真の出るリリー・トムリンの出番が冒頭僅かのみで意外)。児童労働法対策もあり同行してくれていたという5歳上の女友達に番組出演の待ち時間に膝枕してもらっているのをビル・コスビーに「レズビアンと誤解」され身体接触を見られないよう注意されるエピソードを皮切りに、前世紀のエピソードの数々は「女性問題」が男性の問題であるようにそれこそ全てが社会の側の問題であることを示していた。アウティングされたうえ例によって「ボウイやルー・リードには許されても女には…」と。またAt Seventeenはドライブ時に聞くには長すぎると言われるが反発、秘書など女性にターゲットを絞ってアプローチした結果そのままでどこのラジオ局でも掛かるようになったというエピソードからは、男性にはいわゆる先例主義者が多いということが分かる。