ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家


映画の終わり、2018年末のフィルハーモニー・ド・パリでのコンサートがその場にいた人々の証言を交えながらかなりの尺を取って再現されるのを見ながら、これは愛と死の物語なんだと思った。クロード・ルルーシュの言うように「称賛から愛が生まれる」ならここに描かれているのはミシェル・ルグランと仕事仲間の愛の数々だし、最後の公演には、死のイメージから逃れられず鬱病になった彼が実際に死を前にした時どうしたかが表れているのだから。

フィルハーモニー・ド・パリの舞台にて「前には友達、後ろにはオーケストラ、最高だ」。ロシュフォールジャック・ドゥミの名を冠した通りができたことにつき、ルグランは「ぼくの心の中には前からその通りがある」と言った…というエピソードの後、ドゥミと違って今も生きている彼が、これもまた亡き友人オーソン・ウェルズのために『風の向こうへ』の作曲をしている姿に繋がる。

ルグランの、あるいはヌーヴェルヴァーグのキーワードは「子ども」であり(その象徴として「ブランコを漕いでいる映像」が多用される)ルグランは「子どもの頃に大切だったことは忘れない、忘れたなら大切じゃなかったんだ」と語る。ヴァルダの娘や他の(誰だったか失念)女性は「『ロシュフォールの恋人たち』の時など(ドゥミとルグランの二人は)実際子どものようにミニカーで遊んでたけどそれはポルシェのものだった」と、金のかかる子どもだったことを強調していたのが面白かった。ドヌーヴの「ステレオから音楽が流れれば撮影現場がパーティになる」しかり、あれらの映画の資金の潤沢さについて考えたことがなかった。

ナディア・ブーランジェはルグランを5年間離さず教授したという。後々になってもふとクラシック、とりわけバッハやショパンの調べが出てくる。そこへディジー・ガレスピーのパリ公演で出会ったジャズ…彼に言わせればそれは「予想を裏切ること」…が加わり得も言われぬ音楽が生み出されるようになる。ピアノ映画であるこの冒頭だけで、彼と後のヌーヴェルヴァーグの相性がいいことが分かる。「全ての小節のハーモニーとリズムが優れている」とは言い得て妙で、その時その時すべてが楽しい音楽って少ないものだ。同時にそのような音楽家が他の音楽家と仕事をするのは困難も伴うだろうと思う。ルルーシュフランシス・レイとの共同作業を依頼された『愛と哀しみのボレロ』当時、テレビ番組だかで「他の人の曲もやるんですね」と言われての、それでもおれの音楽なんだとでもいうような姿が心に残る。音楽家ではないけれど、ツアーマネージャーの若い女性が、オーケストラの楽譜が製本されていないことを怒られて「私に言われても」と返すのがよかった、言えなきゃ勤まるまい。