ふつうの子ども


「ふつうの子ども」とのタイトルに小学四年生の唯士が登校時のエレベーターに一人乗る顔のアップ、つまり現実では見られないものを見るのに始まり、話が進むにつれカメラが引いていくのに従い、「ふつうの大人」の姿も含め私達のいつもの世界が違ったふうに見えてくる。映画の終わりに母(蒼井優)が唯士を呼ぶ暑そうな顔は作中初めての距離感、初めて見るそれだった。

授業場面の内容が「宿題として書かせた作文を読ませる」「皆で映像を見る」といったものなのには、映画の都合というより小学校の先生は大変だもんな!と思ってしまった。しかし心愛の環境問題についての作文に「極端だな~」(子ども達がすぐ真似する)「それは他の授業でやるから」なんて返す担任の先生(風間俊介)のフィードバックは最悪だ。ここで適切な対応をしていれば、と思うがこのあたりから私達「ふつうの大人」の姿が見えてくる仕組みだ。

心愛があのような運動に出るのはおかしいんじゃないか、子どもをばかにしているんじゃないかといった疑問には、終盤の会議室の場面ではっきり答えが出る。「示して下さい」の連呼は自身の成長を受け入れない母親(瀧内公美)とその背後の大人達への訴えだ。しかし女子に影響されて社会運動に目覚める男子を描く映画もままある昨今、よりによって環境問題をこんなふうに扱うのには違和感が残る。子どもには常に子どもの世界があるが、「大人の半分」の年頃の子どもにこそ大人の世界との断絶が最も響くという話なんだろうか。

会議室に呼び出された保護者のうち、多忙な仕事を持っているのは心愛の母だけ。呉美保は兼脚本の『私たちの声』(2023)で忙しい母親が子どもの前でスマホを見るのは洗剤を注文するためという場面を描いていたから、寄り添えなさには事情があるという映画なんだろう。一方「うんちをして紙で拭く」といった作文を最高だと褒める唯士の母は、食卓のベンチ型の椅子に表れているように常に子どもと一緒。唯士が心愛に惹かれたのは自分の境遇と反対だから、また物語の後にはあの場所から少し離れていくんじゃないかと想像した。